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内容説明
19世紀後半、身元確認の手段として発見された“指紋”が与えた知られざる衝撃。指紋を残す「幽霊」たち、指紋捜査に冷淡な名探偵ホームズ、指紋採取に対する市民の嫌悪感情―。社会問題からオカルトまで歴史の謎めいた諸断片を渉猟し、近代的主体の変貌を鮮やかに描き出す逆説の身体‐社会論。
目次
第1章 幽霊の身元確認
第2章 死者の身元確認
第3章 犯人の身元確認
第4章 痕跡の身元確認
第5章 市民の身元確認
終章 「私」の身元確認
著者等紹介
橋本一径[ハシモトカズミチ]
1974年生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、愛知工科大学専任講師、武蔵大学兼任講師。東京大学博士(学術)。専攻は表象文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
蛸
9
「指紋」に至るまでの身元確認の「客観化」の歴史(それこそ歯型やベルティヨンの人体測定法など)がまずもって箆棒に面白い。「名」=「記録」と「身体」を結びつけようと苦闘する人々の記録。そもそも出だしからして「幽霊の身元確認」から話が始まるのだ。つまらないわけがない。本書のほとんどはそのような歴史的記述に割かれている。しかし終盤に至って話は次の段階に突入する。我々は自らの身元を自分で証明することができない。同一性の基盤は余りにも脆く、「私」が「私」の身元を確認することを論じた最終章は極めてスリリングだった。2017/05/29
おっとー
6
タイトルは指紋論だが、写真や痕跡による幽霊の存在認証から話はスタートし、人間の体格や容姿による個人認証、そして指紋認証へと、個人を特定する「エビデンス」の歴史としても読み取れる。指紋というと個人を判別する絶対的な証拠と考えがちだが、実際は指紋のデータベースを作る必要があり、それをどのように分類するかも問題なわけで…個人の特定の難しさがよりよく分かる。そもそも、個人を識別する絶対的なエビデンスなどないわけで、名前、他者からの承認、そして容姿や指紋や顔など、様々な要因を組み合わせないと「私」は認識されない。2024/10/27
dilettante_k
5
2010年刊。1930年代にスキャンダルとなった「幽霊の指紋」。ワックスに押されたこの特異な取り合わせに当時の人びとは何を見出したのか。19~20世紀にかけての死体公示、法医学、人体測定そして指紋法の開発といった身元確認の通史を辿り、身体を客観化して管理する国家の技法を指摘。さらに、客観的な身元情報と同一性が不安定な肖像写真が結びつく身分証(パスポート)を取り上げ、他者(国家)が規定する客観的な情報にもとづき、主体が写真のうちに自己同一性を確認するという、権力と主体の今日的な交錯を明らかにする表象文化論。2016/01/30
聲
1
自分を自分といえる根拠ってなんだろう?戸籍、パスポート、免許証、マイナンバーカード(?)…考えてみればそれってただの紙で、情報でしかなくて、自分でははっきりとは言えないよな…。考えてみれば、ホームレスに自分の戸籍を売ってしまば、社会的にその人が自分になってしまうわけだし。その人をその人と確証できるのはその人以外の人、というジレンマがあることに思い当たって面白かった。これ、博士論文なんですね。2022/08/14
雨のち晴れ
1
他者による「私」への眼差しが、「私」というものを認識する私の自己確認の主観的な手段であった。それが、ICチップなどの生体認証という他者による「私」の確認へと変わる。私は私を、同定か否かという有無を言わさぬ生体認証という客観的な手段、これによって、認識、確認する。生体認証のミスで「私」ではないとされたら、「私」はどこにいるのか。管理社会のアイテムというだけでは収まらない、「私」を定義するものとしての役割。2013/06/11