内容説明
イタリア滞在30年。日本人としての“当たり前”をことごとくひっくり返された著者が、社会生活をつぶさに体験し、その近現代史をたどるなかで見えてきた、“違和感”のありかと本音のイタリア。
目次
序章 イタリアとの出会い
第1章 教育を受けない自由
第2章 人文学とは何か
第3章 カトリック教と地域コミュニティ
第4章 封建領主をめざしたブルジョワたち
第5章 愛国心とフィアットで育ったイタリア市民
第6章 イタリア最後の王ジャンニ・アニェッリ
第7章 ムッソリーニとファシズム
第8章 戦争とレジスタンスの後遺症
第9章 マフィアと談合
著者等紹介
八木宏美[ヤギヒロミ]
1975年上野学園大学音楽学部卒業。1979年ロータリー財団奨学生として渡伊。ベルディ音楽院、ミラノ大学人文学部に学ぶ。1989年(有)インプット・イタリア・ジャパン社設立。翻訳や日本の官公庁・シンクタンク委託調査などの仕事をする傍ら、ボッコーニ大学経済学部講師を経て、1999年よりトリノ大学外国語学部で教鞭をとる。現在、トリノ大学外国語学部オリエント学科大学院日本部門契約教授。また2004年度より、毎年春に日伊協会文化セミナーの講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
296
9章からなるが、私には教育と人文学、そしてカトリックに関する章に特に興味を魅かれた。日本の教育のあり方とイタリアのそれとは決定的に違っているようだ。日本では徹底した平均・平準主義、かたやイタリアでは差異があることは当然の前提とした教育が行われている。どちらがいいとは一概に言えないのは、私自身が日本型の悪平等を嫌悪しながらも、そのお蔭で階級固定から脱却できたからだ。しかし、それでもなおイタリア型を肯定したくなるのだが。また、本書であらためてカトリックの功罪(両面あるのは確かだ)について考える機会を得た。 2017/05/01
たろーたん
3
著者曰く、イタリアは外国人でも話し方を聞いただけで出身階層が分かるほど、教養レベルの差が歴然としているらしい。一般大衆とエリートの差が極めて大きいのだ。その理由は、イタリアは階級社会であるため、学歴が階層上昇のためにほとんど役に立たないからである。故に、イタリアという国は、平均値でモノを語ることが殆ど無意味と著者は言っていた。そもそも、イタリアは過去に一度も、全国民に機会均等的に平等な教育を施そうという発想に基づいて教育制度が制定されたことはないと言う。(続)2024/07/21
χ
3
イタリアと日本の価値観の違い。歴史的に他国に占領された時期が長く政府もあてにできない状況がマフィアを生み個の自由を平等よりも優先することにつながる。イタリアって大変なんだな2017/05/08
なりあきら
3
日本人にもなんとなくわかる「イタリア人気質」という言葉。しかしそれがどんなものなのか、かなり曖昧なところがある。本書を読んで、そのあたりのイメージが少しつかめたかなと思う。バラバラのトピックを取り上げていて、それを単に面白がるのもまあ良いのだが、それらのトピックは、イタリアという国のあり方について共通するイメージを生んでいる。そこが面白いところだと思う。2012/10/02
denken
3
続編の「しがらみ社会の人間力」の方が読み易い。どちらにせよ現代イタリアを真摯に取り扱う本は貴重な気がする。タイトルが宜しくない。なんとなくイタリアバッシングを連想させる題名だと思う。実際はそんなことないのに。なおかつ甘くもない。人文学についての解説が,ああそうか,と思わせた。学問に対する新しい見方が出来るようになった。多岐に渡る内容であるのに,読後がすっきりしているのは,それこそイタリア人文学の成果であって,すべてが有機的に結びついているからなのだろう。2012/04/14
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