野の道―宮沢賢治という夢を歩く (新版)

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野の道―宮沢賢治という夢を歩く (新版)

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  • サイズ B6判/ページ数 262p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784787718891
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0095

出版社内容情報

詩人・山尾三省のエッセイ集宮沢賢治とは、人間としての限界を背負いつつ人の幸福をめぐる究極のヴィジョンに寄り添おうとする、永遠の「夢」のことでもあるのです。三省はこの夢を信じていました。
??解説・今福龍太「土遊び、風遊び、星遊び」より

太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さそうな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるからには小さな幸福を肯しとする、慎ましい意識がここにはある。
??本書より

詩人・山尾三省は、愛する宮沢賢治の著作を読み続けた。そして賢治が歩いた夢の道を、自らが歩む夢の道に重ねながら思索し、エッセイを書きはじめる。
キンポウゲの花、乳山羊、夏の雨、梅の実や野菜、青春時代の思い出、畑で出会う百姓や鳥や虫たち。何気ない日常の景色を入り口にして、宮沢賢治の作品と人生をひとり旅する。
「読めば深く深く楽しい」。世界との一体感を尋ねて野の道を歩き、文学を読む幸福が、詩人から私たちへと贈られる。(発行=野草社)

呼 応 真木悠介

きれいにすきとおった風 
マグノリアの木 
腐植質中の無機成分の植物に対する価値 
祀られざるも神には神の身土がある 
ぎちぎちと鳴る汚い掌 
野の師父 
玄米四合 
み祭り三日 
野の道 
あとがき

土遊び、風遊び、星遊び 今福龍太

山尾三省[ヤマオサンセイ]
著・文・その他

今福龍太[イマフクリュウタ]
解説

内容説明

詩人・山尾三省は、愛する宮沢賢治の著作を読み続けた。そして賢治が歩いた夢の道を、自らが歩む夢の道に重ねながら思索し、エッセイを書きはじめる。キンポウゲの花、乳山羊、夏の雨、梅の実や野菜、青春時代の思い出、畑で出会う百姓や鳥や虫たち。何気ない日常の景色を入り口にして、宮沢賢治の作品と人生をひとり旅する。「読めば深く深く楽しい」。世界との一体感を尋ねて野の道を歩き、文学を読む幸福が、詩人から私たちへと贈られる。

目次

きれいにすきとおった風
マグノリアの木
腐植質中の無機成分の植物に対する価値
祀られざるも神には神の身土がある
ぎちぎちと鳴る汚い掌
野の師父
玄米四合
み祭り三日
野の道

著者等紹介

山尾三省[ヤマオサンセイ]
1938年、東京・神田に生まれる。早稲田大学文学部西洋哲学科中退。67年、「部族」と称する対抗文化コミューン運動を起こす。73~74年、インド・ネパールの聖地を一年間巡礼。75年、東京・西荻窪のほびっと村の創立に参加し、無農薬野菜の販売を手がける。77年、家族とともに屋久島の一湊白川山に移住し、耕し、詩作し、祈る暮らしを続ける。2001年8月28日、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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アナクマ

30
テーマは宮沢賢治。屋久島の先哲が岩手の先賢を想い、作品に呼応して著したエッセイ。文明や科学について、80年代前半なりの、在野詩人実践哲学生活者なりの、批評/受容を交えて、自給の日々を静かに熱く記す。献辞は真木悠介。◉三省「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思う」◉子や孫たちはどう生きているのだろう。御大の生き方が家族に如何なる影響を与えただろうか。迷惑だろうが、その継承/断絶のありように想いが集中しました→2021/09/11

アナクマ

18
5章_百姓だったことのない宮沢賢治は30歳にして百姓に「戻ってきた」(『春と修羅』第三集「春」)。40代半ばの著者はここに自我の分立を読みとる。さらに「百姓にはなり切れないだろうという自信のなさと、一匹の鼠として人生を終わるべきではないという自尊心」と読み、自身の自我と照らし合わせる。◉屋久島での自給生活から発する賢治との往復書簡のような本書は、他人から見れば「だからどうした」という自省と実践のつぶやきかもしれませんが、自己を深掘りする時間帯に読むとスッと身に沁む細部がある。ただし宗教的な部分は難解。2021/09/22

tharaud

7
15年ぶりに再読。深く生きることを求めて、一人の百姓として、生活の基底へと降りていくという生き方の矛盾や葛藤を、宮沢賢治を通して書く。まだ40代だった著者による、野の道を生きていくという宣言の書。2024/05/26

Tsubasa Kato

0
「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思う」(13)2019/04/27

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