シリーズ「遺跡を学ぶ」<br> 日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚

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シリーズ「遺跡を学ぶ」
日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚

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  • サイズ A5判/ページ数 96p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784787718396
  • NDC分類 210.2
  • Cコード C1021

出版社内容情報

富山湾を望む水田地帯の巨大な貝塚。多彩な遺物と九〇体以上の人骨から六〇〇〇年前の縄文人の暮らしにせまる。かつて放生津潟(ほうじょうづがた)とよばれていた富山湾を望む水田地帯、北陸新幹線建設工事で地下二メートルから巨大な貝塚が姿をあらわした。土器、石器、骨角器などの多彩な遺物とともにみつかった九〇体以上の人骨から、六〇〇〇年前の縄文人の横顔と暮らしにせまる。

第1章 日本海側最大級の貝塚
   1 地表下二メートルで発見
   2 呉羽丘陵と放生津潟

第2章 小竹貝塚を掘る
   1 小竹貝塚発掘史
   2 北陸新幹線と小竹貝塚の発掘

第3章 小竹集落の変遷
   1 出現期の集落──縄文時代前期中葉
   2 最盛期の集落──縄文時代前期後葉
   3 終末期の集落──縄文時代前期末葉

第4章 小竹縄文ムラの生活を追う
   1 狩猟・漁労活動
   2 植物採集活動
   3 さまざまな道具
   3 豊かな装身具
   4 出土品からみた地域交流

第5章 縄文人骨は語る
   1 どのように埋葬されたか
   2 人骨からわかること
   3 小竹ムラに暮らした人びと
   4 小竹貝塚のいま

町田賢一[マチダケンイチ]
著・文・その他

内容説明

かつて放生津潟(ほうじょうづがた)とよばれていた富山湾を望む水田地帯、北陸新幹線建設工事で地下二メートルから巨大な貝塚が姿をあらわした。土器、石器、骨角器などの多彩な遺物とともにみつかった九〇体以上の人骨から、六〇〇〇年前の縄文人の横顔と暮らしにせまる。

目次

第1章 日本海側最大級の貝塚(地表下二メートルで発見;呉羽丘陵と放生津潟)
第2章 小竹貝塚を掘る(小竹貝塚発掘史;北陸新幹線と小竹貝塚の発掘)
第3章 小竹縄文ムラの変遷(出現期の集落―前期中葉;最盛期の集落―前期後葉 ほか)
第4章 小竹縄文ムラの生活を追う(狩猟・漁労活動;植物採集活動 ほか)
第5章 縄文人骨は語る(どのように埋葬されたのか;科学分析からわかったこと ほか)

著者等紹介

町田賢一[マチダケンイチ]
1973年、埼玉県生まれ。東海大学文学部史学科日本史学専攻卒業。現在、富山県埋蔵文化財センター埋文ボランティア、公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査課主査(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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やま

11
富山県にある日本海側最大といわれる縄文時代前期の貝塚。低湿地にある貝塚で多種多様な遺物と共に、縄文人の骨もたくさん見つかっています。装身具も多数発掘され、新たな発見をもたらした遺跡です。あまりよく知らない遺跡だったので興味深かったです。2021/02/09

佐藤一臣

5
北陸の小竹貝塚人は、人骨のDNA解析をすると、前期の頃から北方と南方の両ルーツを持っていたらしい。さらに、安定同位体比を見ると、人によって食性がすでに多様化されており、縄文人はみながみな同じ種類の食べ物を好んで食べていたわけではないこともわかるようだ。すでに生活する上での選択肢が豊富で、各自が個性を持っていたとしたら、いまの多様性の世の中だなんていう発想は古すぎる理念なのかもしれない。縄文人に脱帽ですな2023/08/14

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