内容説明
七世紀に天皇の宮が継続して営まれた飛鳥。のどかな田園風景の下にはタイムカプセルのように、宮殿の遺構が保存されている。斉明朝から天武・持統朝の宮殿遺構の解明によって、天皇と群臣の関係をみなおし律令体制を確立しようとした姿をみる。
目次
第1章 飛鳥宮の発掘
第2章 飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮
第3章 後飛鳥岡本宮
第4章 飛鳥浄御原宮
第5章 文献史料からみた飛鳥宮
第6章 飛鳥から藤原へ
著者等紹介
鶴見泰寿[ツルミヤストシ]
1969年、名古屋市生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程前期課程史学地理学専攻日本史専門修了。現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Shoji
42
飛鳥時代の宮殿遺跡である「飛鳥京跡」は、古いものから順にⅠ期は舒明天皇の飛鳥岡本宮、Ⅱ期は皇極天皇の飛鳥板蓋宮、Ⅲ期は斉明天皇・天智天皇の後飛鳥岡本宮、天武天皇・持統天皇の飛鳥浄御原宮であることが確認されています。律令制国家と呼ばれる新しい国づりが行われた宮であり、その建物配置の変遷などに古代国家の形成過程が反映されている旨を述べた本です。学術的ですが、平易な文章で綴られており理解しやすい内容です。2019/12/01
翔亀
31
100巻を超えて刊行され続けているシリーズ「遺跡を学ぶ」。飛鳥へ万葉集の旅に行くなら、せっかくだから、とこれまであまり興味のなかった遺跡も見てみようかと、初めてこの種の本を手に取った。古墳となるとハードルが高かったろうが、これは宮廷という建物だから身近に感じられる。日本書紀に記された舒明天皇の飛鳥岡本宮と皇極天皇の板蓋宮と天武天皇の浄御原宮が、発掘により同じ場所に建てられていたことが分かり、その建物の配置と機能が明らかにされるさまはスリリングだ。2010年に平城京の内裏にあたる建物が発掘されるなど、↓ 2017/03/17
月をみるもの
15
考古学と文献学がオーバーラップし始める時期/場所としての飛鳥。日本書記は時代が遡れば遡るほど信用できないわけだが、この頃だとまだ書いてあること(建物の場所とか火災とか)と発掘される状況が一致する場合もそれなりにあるようだ。途中で大阪と滋賀に遷都したのは、やっぱり中国や韓国との関係が理由なんだろなあ。。。2019/04/29
chang_ume
10
ほぼ同一地点に重複するi期(舒明朝飛鳥岡本宮)、ii期(皇極朝飛鳥板蓋宮)、iii-A期(斉明朝後飛鳥岡本宮)、iii-B期(天武朝飛鳥浄御原宮)について、時期ごとの遺構特徴から律令国家成立期の宮都構造を理解していく。とりわけ史料に建物名称の記載が多い天武朝期に関して、エビノコ大殿を大極殿ではなく朝堂とする点(飛鳥宮大極殿非在説)、内郭北区画に南北に並ぶ大型建物を大安殿と内安殿とする点、官衙を北方の石神遺跡も含む分散配置とする点など、著者独自の解釈も紹介される。丁寧な解説と豊富な図版が大変参考になった。2022/07/16
mk
6
1400年前の宮都の姿をほぼそのまま保存しているという点において、数ある日本の古代遺跡の中でも稀有な存在である飛鳥宮の歴代遺構に関する概説書。石舞台古墳や酒船石遺跡といった、ひときわ人口に膾炙した飛鳥の古代遺構も、宮都の一角に位置づけられることによって単体で見る場合とは異なる理解が可能であることを改めて考えさせられた。藤原京から平城京、平安京へと続く王宮と官衙群を集約した宮都のあり方は、あくまでも「律令以後」の産物であり、削屑木簡のような考古学的成果の提示によって、本書の見通しも見やすいものとなっている。2019/02/26
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