内容説明
近年、弥生時代の集落というと、吉野ヶ里遺跡のような大環濠と巨大建物の“クニ”がイメージされやすいが、住居と水田が一体となってみつかった登呂遺跡の重要性に変わりはない。二〇〇〇年前後に実施された再発掘をふまえ、弥生集落像をあらためて問い直す。
目次
第1章 弥生時代への扉
第2章 戦後考古学の金字塔(登呂遺跡の発見;戦時下の発掘調査;戦後考古学の出発;集落の実像にせまる再調査)
第3章 水田稲作農耕のムラ(ムラの変遷;住居・倉庫・祭殿;潅漑水田;ムラの環境)
第4章 稲作と暮らし(水田稲作農耕の実態にせまる;ムラの漁撈・狩猟・暮らし;ムラの祭祀)
第5章 弥生社会と登呂ムラ(中心のムラと周辺のムラ;地域のなかのムラのつながり;列島のなかの登呂ムラ;登呂ムラの終焉;登呂遺跡を後世に伝える)
著者等紹介
岡村渉[オカムラワタル]
1962年、静岡県藤枝市生まれ。1985年、國學院大學文学部史学科卒業。現在、静岡市役所文化財課(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
17
九州の吉野ヶ里、奈良の唐古・鍵と比べた時に登呂はどんな特色を持つのか。まさに「原点を見直す」のに好適なのが本書 https://twitter.com/bamboo4031/status/16554914711670702092023/05/11
うしうし
3
戦後間もない時期に行われた登呂遺跡の「平地式住居」といわれる写真を以前見て知っていたが、この時はまだ住居がどのような構造であったのか全くわからなかった。この本の図版(p34)で、通常の竪穴住居と異なる構造が理解でき、これまでの疑問が氷解した。東名高速建設やその後の再調査で、水田域の広がりが判明し、住居跡床面に残っていた木材が屋根の部材ではなく壁際の羽目板とわかり、さらに「祭殿」と推定される独立棟持柱を持つ大型掘建柱建物も検出された。調査の進展とそれにかかわる関係者の熱意には、頭が下がる想いである。2015/04/07
榊原 香織
1
静岡の(私は静岡住み)2020/04/10
えひめみかん
1
訪れたのは2015年だったか。住居を盛土の上に建てていること、緻密な水田管理に驚きました。2017/01/03