内容説明
奈良盆地の東南・磐余(いわれ)の地に、東へと向かう道を見すえるように築かれた桜井茶臼山古墳、つづいてその南方には巨大埴輪を立て並べたメスリ山古墳が築かれる。大王墓とよぶにふさわしいこの二つの古墳は、初期ヤマト王権の中でどのような位置を占めるのか。
目次
第1章 二つの王墓(日本最大の埴輪;戦後まもなくの大型古墳の調査;盆地東南部に集中する前期の大型古墳)
第2章 王墓、桜井茶臼山古墳(丘陵を切断してつくられた古墳;赤く塗られた石室;大王墓にふさわしい副葬品)
第3章 巨大埴輪のメスリ山古墳(副室をもつ古墳;巨大埴輪の樹立;主室におさめられた副葬品;盗掘されなかった副室)
第4章 二つの古墳の背景をさぐる(箸墓とは異なる構造の墳丘;副葬品からみた初期ヤマト王権の性格)
第5章 古代の磐余と初期ヤマト王権(古代の磐余;桜井茶臼山古墳の選地;磐余の王墓の性格)
著者等紹介
千賀久[チガヒサシ]
1950年大阪府生まれ。同志社大学文学部卒業。1974年奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に勤務。現在、同博物館主幹(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
月をみるもの
11
纒向・大和・柳本の箸墓古墳や西殿塚古墳とは形状の異なる、桜井の茶臼山・メスリ山古墳。両者の初期ヤマト政権での位置付けを考える上で、すぐ東にある朱〜辰砂の産地宇陀を通じての東海地方とのつながりが重要であるらしい。言われてみると確かに、いまもすぐ脇を名古屋へ向かう近鉄が走ってるもんなあ。。辰砂からの水銀採掘も最近まで行われてたみたいだし https://bit.ly/2SfEElD 2019/01/27
うしうし
5
本日2冊目の読書。県立図書館で借り、同シリーズ『馬見古墳群』に続いて読了。奈良盆地東南部「磐余」の地に作られた2つの前期古墳の概説書。単なる概説に留まらず、カラー図版で掲載された数々の副葬品や古墳の歴史的背景の解説など、新しい研究を積極的に取り入れ、現段階での研究の到達点をみせている。本書の刊行は2008年であるが、その後2009年に桜井茶臼山古墳の再調査が行われ石室の再精査、石室を取り囲む玉垣跡の検出、正始元年鏡を始めとした81面分以上の銅鏡片の出土などの成果を得た。2014/06/07
坂津
3
奈良盆地の南東部に相次いで築かれた巨大前方後円墳、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳について、石室や副葬品の特徴、数キロメートル北方に位置している箸墓古墳を始めとした他の大王墓との関係性など、あらゆる観点から解説した書籍。どちらの古墳も実際に訪れて墳丘を散策した(メスリ山古墳では後円部の竪穴式石室の天井石の上に立った)ことがあり、当時の記憶を呼び起こしながら読み進めた。他の大規模古墳の陰に隠れがちではあるが、2メートルを超える大型の円筒埴輪や大量の武具などが出土しており、その特異性が浮かび上がってくる。2022/05/30
chang_ume
2
茶臼山に関しては舶載鏡と仿製鏡の組成比を詳述。メスリ山は碧玉製品の非伝世的性格と主室・副室の性格相違を指摘。編年的には磐余地域(茶臼山・メスリ山系列)と大和・柳本(西殿塚・行燈山系列)を併行に置き、磐余地域は立地から東国との関係を見る。いわゆる聖俗二重王権説を含めて、大和・柳本と磐余の両地域の機能分担を重視する立場ですが、両地域を一系的に捉える編年観も有力で、実年代幅をどの程度見積もるかによって変わるだろうと思う。茶臼山の再調査前の刊行であるため、多量の副葬鏡、丸太垣と壺形埴輪など含めて改訂が望まれる。2024/05/07