内容説明
信濃国と美濃国の国境の神坂峠は、都からはるか遠い東国へとつづく古代東山道随一の難所であった。頂から東を望めば、けわしい山々が幾重にも連なる。この峠こそは、東国へのきびしい旅の始まりであった。旅の成就を願って峠の神に捧げた人びとの祈りの形を追う。
目次
第1章 東と西を分ける神坂峠(高い山・深い谷の峠の国;古代の官道、東山道;東山道の難所、神坂峠)
第2章 峠は祭祀遺跡(鳥居龍蔵と大場磐雄の踏査;祭祀遺跡を掘る;祈りの場にのこされたもの;峠での祭祀)
第3章 峠のふもとの里(園原の里;杉の木平遺跡;発見された古代・中世の家と道;ふもとの人びとの営み)
第4章 神坂峠越えの道の歴史(縄文時代からつづく道;東国の馬匹生産と貢馬の道―古墳時代;納税の道、防人の道―古代律令時代;経済的効果を生み出す道へ―中世;天正地震と道の終焉)
第5章 古道の復活
著者等紹介
市澤英利[イチザワヒデトシ]
1951年生まれ。信州大学農学部園芸学科卒業。長野県下の中学校に勤務。その間、長野県教育委員会文化課、長野県埋蔵文化財センターにも勤務。現在、長野県阿智村阿智第三小学校校長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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rbyawa
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e262、かつて防人がこの地、神坂峠の難所を越えていた記録があるものの、その後ルートを変えてしまい、ただし地形的に難所なので推測もしやすく、戦後になって発掘されるとどうもその地の生活道路としても機能していたと目される跡が見付かり、というような順序って読んでいたんですが正しいかな? 死人が多いので減税措置しなきゃ、と語られるような峠で独自の祈りの習慣が生まれ、とあったのに馬育ててたって…むしろ峠越えにはいいのかそれとも峠は越えない方向にのみ送り出すのか。まだまだ研究途上なんで勝手なこと言ってますすみませんw2014/09/19