シリーズ「遺跡を学ぶ」
筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳

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  • サイズ A5判/ページ数 93p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784787706324
  • NDC分類 210.2
  • Cコード C1021

内容説明

北部九州では最大、最古の前方後円墳、豊前石塚山古墳。その被葬者はヤマト政権と密接なかかわりをもち、大陸へのルートを確保する役割を担っていた。筑紫政権下からヤマト政権下へと組み込まれてゆく北部九州の姿を古墳と副葬された三角縁神獣鏡から解き明かす。

目次

第1章 豊前の初期前方後円墳(周防灘を望む地;畿内文化の特徴をもった古墳)
第2章 石塚山古墳を掘る(歴史に翻弄された古墳;竪穴式石槨の発掘 ほか)
第3章 七面の三角縁神獣鏡(出土鏡の型式と編年;配布と同笵鏡の分有 ほか)
第4章 前方後円墳の意味するもの(最古の前方後円墳の特徴;前方後円墳創出の背景 ほか)
第5章 筑紫政権からヤマト政権へ(筑紫連合政権の盛衰;ヤマト政権の台頭 ほか)

著者等紹介

長嶺正秀[ナガミネマサヒデ]
1951年、島根県生まれ。現在、苅田町教育委員会での埋蔵文化財行政(石塚山古墳、松山古墳群、松山城跡、等覚寺修験道遺跡群、岩屋古墳群、近衛ヶ丘遺跡などの調査、報告書刊行)を担当。但し、2002~05年の間は、苅田町合併50周年記念誌の編集・執筆に従事。1975~87年までは、京都平野の主要な遺跡や古墳(竹並遺跡、前田山遺跡、下稗田遺跡、八雷古墳など)の調査と報告書の刊行に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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月をみるもの

15
ちゃんと保存されてたら、黒塚古墳と同じくらいすごい副葬品が出てきてたかもしれないのに、もったいないことこのうえなし。弥生末期に隆盛を誇った奴国と伊都国は、漢の没落によって近隣諸国に配る維新財がなくなったために没落した、というのは眉唾。磐井の乱はヤマト朝廷に対する筑紫の反乱というより、筑紫政権とヤマト政権の戦いだし、「ヤマト」政権も近畿勢力だけじゃなくて、北陸や尾張との連合だったりする。半島に百済・新羅・高句麗が併立してたみたいに、日本にも筑紫・吉備・ヤマトという3つのクニがあったと考えるのが自然な気がする2020/07/13

うしうし

8
かなり前に読了していたが、最近、必要があって再読。福岡県京都郡苅田町所在の大型前方後円墳である石塚山古墳(全長約130m)の優れた概説書。 ・従来「竪穴式石室」と呼ばれていた古墳時代前中期の埋葬主体部は、「棺と壁の間が狭く、石室とよぶよりも石槨とよぶほうがふさわしい」ということで、「竪穴式石槨」とよばれるようになった(p8)。2020/05/24

金監禾重

7
浜辺の古墳。本書の復元地形が正しければ、波打ち際の古墳と言ってもいいだろう。平地にあるため破壊を受けてきた古墳だが、著者によれば少数の守る人の尽力ゆえ、おそらくは古墳自身の巨大さゆえに生き残ったのだろう。小山を均すのも重労働である。敬意ゆえに設けられた神殿がなかなか大きく、墳丘の破壊を進めたであろうことが悲しい。主体部も盗掘が激しいが、発掘調査でかなりの痕跡が読み取られている。また城で言えば縄張りにあたる計画線をなす溝が検出されているのもおもしろい。2019/09/23

rbyawa

0
f199、最近歴史資料を読む時になるべく地図を意識するようにしているのですがこの「豊前石塚山古墳」って下関よりも内陸に入り込んだ土地なので、自然に大陸や半島からの港はなった土地のような気もしないんですが…どっちかというと南下したところにある「宇佐神社」が気になります、八幡神社の元宮って言われてるところじゃなかったっけ、要はこちらのほうが古い。130m級だと本土でもだいぶ大きな部類、時代は3世紀だから大宰府なんかよりも前だっけ? 大量の青銅鏡を見るとまあ、権力とのつながりはあるんでしょうが、研究途上かなぁ。2015/09/04

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