内容説明
法隆寺金堂釈迦像は、法隆寺再建の際に九州から運ばれたとする古田武彦と、斑鳩の地で再建金堂に安置するべく造られたとする家永三郎による、書簡論争の第2弾!論争点は法華義疏・天寿国繍帳にもおよび、終局を迎える。
目次
「金堂釈迦像」「法華義疏」問題への応答を
「法華義疏」の著者は第三者
太子の没年月日、「書写本」によせて
顕微鏡写真で紙質・筆跡を検証
日本書紀の記事は疑ってかかるのが安全
書紀の大義名分関係をすりかえた表記法
太子と無関係の仏像を本尊とする不自然
倭国の首都は筑紫にあり
天寿国繍帳銘の忌日は原物にあった
理論的前提は「政・〓(そう)・満の法則」
論争に生産性ありとするなら公表に異議なし
論争を終えて(精緻な論証と主観的独断の共存する古田学説;“言われた”テーマ、“言われなかった”テーマ)
著者等紹介
家永三郎[イエナガサブロウ]
1913‐2002年。歴史学者。自由民権期の近代思想家の研究や太平洋戦争への道を厳しく追及した著作、それに関連して教科書検定裁判で知られるが、歴史家としての出発点は日本古代思想史で、多くの基礎的な業績を残した
古田武彦[フルタタケヒコ]
1926年―。歴史学者。親鸞の研究者として出発、1970年より古代史の定説に再検討を迫る研究に専念し、大和朝廷一元史観に対して、北部九州など各地に王朝があったとする多元史観を提唱し旺盛な著作活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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