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出版社内容情報
どう聴いても歌謡曲なのに、なぜ歌謡曲と呼ばずに、Jポップと呼ぶのか。愛するものを低俗として抑圧し、あらゆる要素を取り込みながら延命をはかる歌謡曲という自虐的パラドックス構造を解明し、その根底にある日本文化の特質をさぐる。
序 歌謡曲は、死なない。
1 歌謡曲へのまなざし
かつて、「歌謡曲」といえば演歌のことだった――一九七〇年代初頭
侵犯しあう三つのカテゴリー(1)――一九七六年
侵犯しあう三つのカテゴリー(2)――「雨やどり」とアリス
「アイドル」への渇望
天才がたどった数奇な運命
とりあえずのまとめ――一九七〇年代とは?
歌謡曲を統一した松田聖子
シブがき隊という過剰
小泉今日子における自己言及
アイドルの遍在化
つくられるヒット曲――一九九〇年代的戦略
Jポップなる概念の欺瞞性
2 歌謡曲を見くだすもの
洋楽信奉の真実
クラシック音楽の有する意味と歌謡曲
音楽的チャレンジと歌謡曲
歌謡曲の独自性とは
3 歌謡曲である(ない)ということ
荒井(松任谷)由実――非日常的日常からただの日常へ
久保田早紀――異邦人
アイドル歌謡――聴き手を近くに来させる音楽
「アイドル歌謡曲」の現在
歌謡曲であるということ
LINDBERGからZARD、そしてELTへ
ドリカム――カラオケ向きでない「カラオケに優しい楽曲」
氷室京介、久保田利伸―
内容説明
Jポップなる無根拠で浅薄で欺瞞的なカテゴリーは、歌謡曲のたんなる延命装置にほかならない。一見死んだかに見える歌謡曲は、Jポップのなかでしぶとく生きつづけているのだ。ジュリー、郷、百恵、ユーミン、聖子、シブがき、おニャン子、KYON2からマイラバ、ドリカム、SPEED、つんく、小室、宇多田、ZARD、モー娘まで、表面的には軽んじ貶め蔑みながらも愛さずにはいられない歌謡曲の数々。心の底から好きなものを低俗だと抑圧することで、かえって延命させるという不可思議な自虐的パラドックスの構造と、それを巧妙に利用して生き延びるパラサイト的体質をえぐり出す。どこまで逃げても歌謡曲は私たちのそばにいる。
目次
序章 歌謡曲は、死なない。
第1章 歌謡曲へのまなざし
第2章 歌謡曲を見くだすもの
第3章 歌謡曲である(ない)ということ
第4章 歌謡曲か否か、それが問題だ
終章 歌謡曲への愛
著者等紹介
貴地久好[キジヒサヨシ]
1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部、ケンブリッジ大学経済学部卒業。周辺文化評論家
高橋秀樹[タカハシヒデキ]
1961年、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業。フリー編集者
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。