内容説明
発表会を「日頃の練習成果を披露するために、おもにアマチュアの出演者みずからが出資して出演する、興行として成立しない公演」とゆるやかに定義して、発表会の起源を江戸から現在までたどる。そのうえで、習い事や合唱、ライブハウス、公募展などの具体例や学校制度・教育行政との関係、会場となる公共ホールのあり方、アメリカとの比較といった素材を検証して、発表会の現状に迫る。アマチュアによる表現活動=発表会の多様性と魅力、それを支える仕組み、底辺にある問題点を浮かび上がらせる意欲作。
目次
第1章 発表会の歴史
第2章 習い事産業と発表会
第3章 社会教育・生涯学習行政と地域アマチュア芸術文化活動
第4章 学校教育と発表会
第5章 発表会が照らす公共ホールの役割
第6章 合唱に親しむ人々
第7章 誰のための公募展
第8章 発表会化するライブハウス
第9章 アメリカの発表会
著者等紹介
宮入恭平[ミヤイリキョウヘイ]
1968年、長野県生まれ。法政大学大学院兼任講師、国立音楽大学ほか非常勤講師、ミュージシャン。専攻は社会学、ポピュラー文化研究、カルチュラル・スタディーズ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きいち
23
ミュージシャンでもある編者がライブハウスで感じた閉塞感をきっかけに、バレエや演劇、絵画、日舞とさまざまなジャンルで見られる「表現者が自らの負担で見てもらう」発表会文化を、それぞれ専門の研究者と追いかけた本。確かに今のライブハウスって親類縁者でないと入りにくくなってて、それは子供の習い事のようだけど、いい悪いじゃない。それだけアマチュアの表現活動の裾野が広いということだし、発表会というツールがそれだけ有効ということだからだ。◇それを気づかせてくれる最終章、西海岸・ハワイでの日系人社会の事例が非常に効果的だ。2015/04/30
古戸圭一朗
1
編者の宮入氏による「ライブハウスの発表会化」という違和感を導入に、様々な観点から、我々が普段意識することのない「発表会」の自明性を問う。アマチュアの表現活動に、発表会という装置が、いかに作用を及ぼしているのか、そしてそれが大きな力を持っていることを考えさせられる。本書は発表会(という内面化された形式)を表現活動の幅を狭めてしまう一方、その形式を利用して表現活動を展開する実践もあるという、二面性をもった物として描き出していると感じた。いずれにせよ、アマチュアの表現文化を考えるために有益な視点を与えてくれる。2019/11/11
ともさん
0
なんでアマオケは演奏会が必要なのか?という疑問に答えてくれる本ではなかった。2016/03/05
ri4ee
0
「(アマチュアである)出演者自らが出資して出演する、興行として成立しない公演」=発表会について、分野も切り口もさまざまに書かれた論集。現状を描くことを目的の一つとしているためか、まだ踏み込んだ考察に欠けていると思うものもあった。とはいえ多彩な語り口から「発表会」というあり方がこれほど日本で強力に作用しているのか、ということを感じられる。個人的には家元制度についてなるほどと思うことが多く、今後調べてみようと思った。2015/06/05
nxjvy
0
発表会の歴史が第一章と二章でくわしくせつめいされてあり、とても分かりやすかった。研究に生かせそうだと思う。2023/10/25