内容説明
保田は生国大和を、自らの生と文学の根源をなす揺籃の地として終生慕い続け、語り誌して倦まなかった。就中、産土の地・桜井近在を国の初めの土地、記紀・万葉の故里として尊び、幼少時からその隅々にまで足を運んで本然の感傷と教養を育んだ。本書に収めた四篇は、そうした著者のかたみともいうべき、歴史と風土への讃仰に満ちたガイドである。「長谷寺」は開基千三百年に当り、同寺からの慫慂を受けて、書き下ろされたもので、写真を添えて『大和長谷寺』の題で上梓されたのは昭和四十年。万葉集風土記の趣きを呈する『山ノ辺の道』も同じく写真を付して同四十八年に刊行された。一方、昭和三十三年から棲家を求めた京都と、離れて思う奈良両都の“伝統と現代”を写した「京あない」「奈良てびき」は昭和三十九年に「芸術新潮」の需めに応じて執筆された作品である。
目次
長谷寺
山ノ辺の道(山ノ辺の道と磐余の道;ふる国;出雲国造神賀詞;磯城瑞籬宮と磯城島金刺宮;茶臼山古墳 ほか)
京あない
奈良てびき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
双海(ふたみ)
9
保田は生国大和を、自らの生と文学の根源をなす揺籃の地として終生慕い続け、語り誌して倦まなかった。就中、産土の地・桜井近在を国の初めの土地、記紀・万葉の故里として尊び、幼少時からその隅々にまで足を運んで本然の感傷と教養を育んだ。 (カバーより)2014/03/31
ダイキ
4
「美を求めることは、美につき當ることである」と綴つた彼は、我々からすれば全く變則的方法で、美に向き合つたに相違ない。しかし彼のやり方こそが、美に對して最も誠心誠意に向き合ふ方法であつた。この本は「異國人の遺品を味ふやうに、奈良の佛像を見て廻る人」である我々に、我國の樣々な古典や奈良や京都を、ひいては日本をどの樣な眼差しで以て見つめれば良いかといふ事を敎へてくれる。我々はたゞ彼の眼に感嘆するのみである。しかし彼の眼は、日本人が本來、誰もが持つてゐたものである。私はさう信じてゐる。2014/11/21
ダイキ
3
「単に歌枕や古代美術、自然美だけの問題でない。目に見えない、しかし後で申し分なくわかるやうな原因なのだ。さういふ無意識の判断が伝統であり、民族的といふものである。」(山ノ辺の道)2015/09/22