内容説明
主人「どうだ、私の裁きは公正であろう?」女中「アァ、ゴショーデス!御主人さま!」ポストモダンの代表作家クーヴァーのキワドク大胆なケッ作。どちらがSでどちらがMかわからない、螺旋状に昇りつめるエンドレス・プレイ。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
三柴ゆよし
17
「私が高潔を目指しているのか、それとも、鞭乞う尻(コウケツ)に捕らえられてしまったのか?」 籐むち、魔羅むち、九尾の猫むち、ベルト、皮紐、ヘアブラシ、シュルル・バシーン! と空を切り、メイドの臀(おいど)はくれない染まる。鞭打つ主人と打たれるメイド、かたやルールに縛られて、かたや自由に、打ち、打たれる。鞭振るう手の掴む空虚と、振るわれる尻の燃える充実。主客転倒、抱腹絶倒、SM乱交、青息吐息。おもしろく読めるポストモダン作家ロバート・クーヴァーの爆笑必至の尻作(ケッサク)メタフィクション。2011/10/30
志ん魚
14
ポストモダンの尻フェチ番長ことクーヴァー先生が贈る官能とフェティシズムの変奏メタフィクション。あるいは詩的に私的なお下劣コント。毎朝おバカなメイドを跪かせてズロース下ろし、真っ白な尻をひたすらスパンキン&スパンキン! しかしサトチョン氏の妙訳もあいまって、「シュルルル、バシーン!」「アウ!」「ピュルルルル、スバーン!」「アイーッ!」などと馬乗り悪乗りエンドレス。いつしかこちらも病みつき恍惚となってシュブシュブしちゃう次第である。なんだこの感想。。。2012/02/02
Ecriture
11
バロウズが虫のタイプライターを叩くなら、クーヴァーはメイドの尻を叩いていい音(文章)を奏でる。永遠の朝の繰り返しとメイドの不手際が主人のパーフェクションを阻害し、汚染し続ける。完全なるメタフィジックスの希求を馬鹿馬鹿しいフィジカル・スパンキングによってずらし、腫れ上がらせる。主人とメイドは役割を交換しようと思うほどにどちらがどちらを支配しているのかが錯綜している。ポストモダン作家たちはヒエログリフ(神聖文字)に到達することを望みつつも、逆に文字からのスパンキングを受けかねない危うい関係性のうちで書く。2012/06/23
nbhd
10
これは「おしりペンペン小説」だ。しかし、ただの「おしりペンペン小説」ではない。「ユニヴァーサル野球協会」で圧倒茫然の脳内野球を描いたクーヴァーである。登場人物はご主人様とメイドの2人、兎に角おしりにムチを叩き続ける、原題はSPANKING THE MAID。読むうちに、ほのかに漂ってくるのは、おしり鞭打ちの<儀式性>と<タイムループ性>だ。意味があるから儀式を行うのではなく、儀式を行うところに意味が生じる、というような「反転」。さらに、それが反復されるなかで生じる「ズレ」、これが絶妙。2014/03/22
ykoji
5
原題:SPANKING THE MAID 「メイドのお尻を叩く小説」という先入観は完全に正しくかつ間違っていた。あらすじはメイドが部屋に入っていき、ドジをして、主人に打たれる。これの繰り返し。だから先の先入観は正しいが、書いているのはポストモダン小説家のクーヴァーだからそんな単純な話じゃあない。作中で使われる言葉の変化だったり、西洋文明の暴力性を表すテーマが隠れていたり。大変楽しかったんだけど、ベッドの下のアレは結局何なんですか、クーヴァー先生?2012/09/11