目次
詩集「砂時計」から
詩集「綱引き」から
詩集「てのひら」から
詩集「すこしゆっくり」全編
詩集「花のかたち 人のかたち」から
遺稿詩集「花の行方」から
未刊詩篇
エッセイ
作品論・詩人論
著者等紹介
征矢泰子[ソヤヤスコ]
1934年6月11日京都市生まれ。1957年京都大学仏文科卒業。1959年三村章子の筆名で小説「人形の歌」を発表、映画化される。結婚、出産をきっかけに学生時代に捨て去ったつもりの詩を再び書き始め、1985年第9回現代詩女流賞受賞。生きることに真正面から向き合い、研ぎ澄まされた言葉で綴られたガラスの破片のような詩の数々は、多くの読者を魅了している。1992年11月28日突然、自らの生を断った
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感想・レビュー
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fishdeleuze
27
ひらがなの多い柔らかな文体に、繊細なこころがやどっている。わたしではないわたしへ、あなたではないあなたへ、ここではないどこかへを強く希求し、ことばを紡いだ激しく、傷つきやすい生は、それゆえ人と人との間から逃れ、花に寄り添い揺れ動く。花や草木や風になったりできればよかったのだろうが、そうはいかなかったのだろう。おそらく切り刻むような想いで書かれたであろう詩はとてもうつくしい。2017/04/25
松本直哉
18
空蝉、木乃伊、鯉幟り。詩人が好んで題材にするのはからっぽなもの、たましいも五臓六腑もぬぎすてた、風の吹き渡る空虚。解体されるうさぎの目になみだを見、衰微していくバラからぬけだすたましいを見、みずからの魂をメリーゴーラウンドにのせてみつめる。妻としての母としての平凡な日々をうたった詩の中でさえいつもなにかしら空虚なものへのあこがれがある。ひらがなの多い文体は読む速さを遅くさせ、白っぽい行間を風が吹く。うつつのあけくれから、ここではないどこかへとびたちたい魂をのせて。詩人の生涯の閉じ方に、必然的な何かを感じる2019/06/05
sk
7
人(現実)と花(夢想・美)を対立させて自分の立ち位置を確認していたようだが、実際は、人も花も何もかも「痛さ」を感じさせるものとして等価だったのではないか。閃きや降って来るものの襲来が眩しく痛いものであるように、詩の美しい痛みを感じる。2014/06/21
チェアー
6
この詩集は最後の関係者の文から読んだほうがいい。そうすれば詩が違った光に照らされて見えてくる。苦しみの中でもがきながら出した言葉の美しさがわかる。彼女の苦悶を感じていたい。 2025/01/15
u
6
読み始めのころは老いることへの恐怖が書かれているのかなあと思ってましたが、それがだんだん若かりし日への憧憬と生活への倦怠、遺稿詩集「花の行方」に至っては (詩人が自死したと知って読んでいるせいかもしれませんが) 死の香りが立ちこめすぎて、クラクラするほどでした。過ぎ去っていくこと、そしてそれがもう二度と手に入らないということ、このことに対して半ば潔癖症的な強迫観念を抱いていたのかなと思いました。詩の空気は張り詰めていて、しかもひときわドキリとさせられることばが何食わぬ顔でいます。スリルあふれる詩群でした。2017/03/30