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出版社内容情報
赤坂憲雄[アカサカノリオ]
著・文・その他
内容説明
なぜそれは、おそろしいのか。なぜなつかしく、切ないのか。そして私たちはどこからきて、どこへ行くのか。ふたつの物語に、日本人の精神の原風景を幻視し、刻印する。著者渾身の論考、満を持して刊行!
目次
第1章 ゴジラという神話(一九九二‐二〇一一年)(ゴジラは、なぜ皇居を踏めないのか;まつろわぬ民の末裔たちの反響―バランとラドンは、なぜ滅ぼされるか?;海の彼方より訪れしもの、汝の名は)
第2章 「あっ、ゴジラだ!」―神話的/肉体的想像力を生きよ!(二〇一三年)(佐野史郎×赤坂憲雄)
第3章 ゴジラからの伝言(二〇一四年)(ゴジラはいま、鬼っ子として蘇る;モスラ、または南洋という夢;「最後の一人」が捧げられるときに)
終章 ナウシカへ(二〇一四年)
著者等紹介
赤坂憲雄[アカサカノリオ]
1953年、東京都生まれ。民俗学者、学習院大学教授、福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。『岡本太郎の見た日本』でドゥマゴ賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。「東北学」を提唱し、東北の歴史・文化風土の掘り起こしをおこなう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Gotoran
51
先に読んだユング心理学研究第9巻“海の彼方より訪れしものたち”からの派生作品。「東北学」の雄、民俗学者の著者が東日本大震災発生時呆然とした後、只管、『ゴジラ』と『風の谷のナウシカ』を観て、感じ・考え、震災による原子力発電所事故で科学技術の在り方について思索を巡らせたこと。核の尾落し子として人間が生み出した恐怖の権化「ゴジラ』の世界を越えて、戦争で科学文明が崩壊し異形の生態系の終末世界を描いた『ナウシカ』の世界へと至るのではないかと云う危惧。また途中挿入の佐野史郎氏との対談も面白かった。2019/11/19
けんとまん1007
36
ゴジラの意味するものは、いろいろ言われていもいるし、自分なりに考えたりもする。ここで赤坂先生が書かれているところと近いものがある。ゴジラは、何のために戦い、かつ、存在するのか。何を守り、何を表現するのか。日本人の背負っているものの現われか。そのゴジラとナウシカ。なるほどと思う。風の谷のある環境。風の意味するもの。深く、広がる。2021/06/20
マーブル
8
震災直後に語られた「ゴジラとナウシカを通じて震災を考える」と言う行為。発表前も、発表後もさまざまな思いが飛び交った。 最近気になっていた民族学者が、自分も好きな分野について肩の力を抜いて語っている内容を、勝手に想像していただけに、気持ちが固くなった。 途中に挟められた佐野史郎との対談が、ほっと息を抜かせてくれる。制作者たちの意図を解明するのではなく、「こう解釈もできる」と考えるのは楽しい。もちろん、行き過ぎなければ。 2019/08/11
ja^2
7
後半のナウシカとの繋がりは今ひとつピンとこなかったが、ゴジラを三島由紀夫の「英霊の声」に重ね、昭和天皇との対峙の構図として捉えたのは面白かった。▼なぜ、ゴジラは皇居を踏めないのか? ゴジラは、現人神のためにと南太平洋に送り出され、海に沈んだ幾多の若者の魂そのものである。▼その神に鎮魂を求めて東京湾から上陸するも、皇居に住んでいた神はいつのまにか人間になっていたのだ。踏めないのではない。そこに踏み入れる意味がないと悟ったのだ。2023/05/31
左手爆弾
6
シン・ゴジラを見て「ゴジラとはなんだったのか」を考えたい人にはまずこれを勧める。学者らしく無理をしない読みになっている。有名な「何故ゴジラは皇居を襲わないのか?」→「ゴジラは戦没者達だ」「もはや天皇に何かを迫る時代じゃない」という解釈もここに登場する。ナウシカでは巨神兵の吐く火は荒ぶる神たる王蟲を倒すことはできない。ゴジラはやはり、荒ぶる神であり、善悪の彼岸にある。怪獣映画の中にある神話的構造をきちんと読み解いている。多分、庵野はこの本を読んだであろう。宮澤賢治をはじめ、同書の示唆を正直に受け取っている。2016/10/03