内容説明
信長の城づくりから歴史を読み本能寺の変後、織田氏はどのように引き継がれたか。
目次
第1章 近世城郭の成立―安土城の歴史的意義を考える(城郭研究のいま;信長の城の原点―勝幡城 ほか)
第2章 近江の城と信長―佐和山城と安土城と坂本城(はじめに―都への道;一五七〇年の危機 ほか)
第3章 京の城と信長―なぜ信長は京都に城を構えなかったのか(武家御城―足利義昭御所、旧二条城;信長の宿所)
第4章 近世大名織田氏の所領と陣屋―信長後の子孫たちと城に代わる建物(陣屋の構築をめぐって;近世大名織田氏の所領分割 ほか)
著者等紹介
千田嘉博[センダヨシヒロ]
考古学専攻。1963年、愛知県豊田市生まれ。奈良大学学長。奈良大学文学部文化財学科卒業。大阪大学博士(文学)。専門は城郭考古学
下坂守[シモサカマモル]
日本史学専攻。1948年、石川県金沢市生まれ。前奈良大学教授。大谷大学大学院修士課程修了。立命館大学博士(文学)。専門は日本中世史
河内将芳[カワウチマサヨシ]
日本史学専攻。1963年、大阪府大阪市生まれ。奈良大学教授。京都大学大学院博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。専門は歴史学(文献史学)
土平博[ツチヒラヒロシ]
地理学専攻。1966年、大阪府池田市生まれ。奈良大学教授。関西大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。専門は歴史地理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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六点
14
2014年に奈良大学文化講座として行われた連続講座の報告者が、最新の知見をもとにして論文集にしたものである。千田先生の「近世城郭の成立」としての勝幡城に始まり、土平博氏の「近世大名織田氏の所領と陣屋」で締めくくられている。織田氏は江戸時代、陣屋を居所としたのだが、移築も含め御殿が2箇所残存しているのは、極めて幸運であると思われる。信長の時代から子孫の時代に至るまで、その時々の状況に合せて、より良い居城のあり方を求めていたのだなあ、と、思う。西日本へ勢力を更に伸ばせば、安土城も放棄したんだろうなあ。2021/08/16
chang_ume
6
下坂守「近江の城と信長」をまず興味深く。琵琶湖水運をテコにした織田信長の天下統一プランについて、東西日本を結ぶ近江の地政学的特徴から読み解く内容。安土城築城も琵琶湖水運の活用から理解されます。そして豊臣秀吉が信長の構想を破棄して大坂・伏見へと中心移動との解釈は、「織豊系」と一括されがちな当該期に再考を迫るものでしょうか。織田と豊臣双方の天下統一プランに関して、城郭配置を通じた枠組みの提示でした。寺社参詣曼荼羅など、絵画資料に登場する中世城館の指摘にもびっくり。描かれていたのか。2017/10/05
まのん
2
千田さんの記事は奈良大への勧誘多め…だけど、これからの研究視点も含めて新しい成果が読みやすく纏まっていました。小牧山城の石垣復元も始まって、千田さんの学生時代の構想もすっかり定着しましたね。 2016/01/24
hr
1
図書館本。近江の城のところと、信長の過ちを繰り返さないために秀吉も家康も京都に城を築いたというところ、興味深く読んだ。一番面白かったのは「軍師官兵衛」をディスる箇所。2021/08/10
wang
1
4編からなる。勝幡城から安土城にいたるまでの信長の城の変遷を見ることで信長が城をどう見ていたのかを知る。石垣、天主、本丸等城の構成要素がいつからどのような目的であったのか。自らの神のごとく家臣等と隔絶した存在にしたかった信長の身分感が城造りに垣間見えるのが面白い。近江の諸城の位置づけから近江国が信長にとってどういう存在だったかがわかる。京都で居城を築かなかった信長の居所など。武家御城も。江戸幕府での織田系大名の陣屋の変遷。陣屋ってお屋敷の大きいのだと思っていたが、城の形式をほぼ持っている。知らなかった。2016/09/05