なぜ、私たちは恋をして生きるのか―「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784779508134
  • NDC分類 141.6
  • Cコード C0010

内容説明

いま、日本を生きる私たちのための恋愛の哲学。九鬼周造の『「いき」の構造』を手掛かりに、近代日本における恋愛と自己の関係を探り、人を愛することの本質をあぶり出す。

目次

第1章 『「いき」の構造』の射程
第2章 他者と出会うということ
第3章 「自己」と「欲望」
第4章 近代日本における「恋愛」の諸相(1)―「超越」を求めて
第5章 近代日本における「恋愛」の諸相(2)―「自己」という桎梏
終章 他者への慈しみとは

著者等紹介

宮野真生子[ミヤノマキコ]
1977年大阪府に生まれ、その後和歌山県で育つ。2000年京都大学文学部文学科卒業。2007年京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得満期退学。現在、福岡大学人文学部准教授。(日本哲学史専攻)。著訳書2011年、西日本哲学界若手奨励賞受賞、「個体性と邂逅の倫理―田辺元・九鬼周造往復書簡から見えるもの」(『倫理学年報』第55集、2006年、日本倫理学会和辻賞受賞)、他(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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tom

17
「急に具合が悪くなる」をきっかけにして読んでみることにした本。哲学者の著者が、恋とは何か、愛とは何かについて書いてある。愛にしろ恋にしろ「そこにあるのは有限性を超えた、わかりえない他者であり、じっさいの自己と他者との関係は、不確定性の中にあって、偶然に左右されながら変わらざるを得ない」「それでも私たちは他者を求め、関係を開こうとする」「他者とともにいたいとき、自己はもがきながら、願いを込めて他者へと呼びかける。それは一種の賭けである。そこにあるのは、他者の存在への慈しみがある。」そうだったのかと納得した。2021/03/31

ケー

10
タイトルだけ読むとライトな本のように思えるけれど、全然そうではなくて、宮野先生の専門である九鬼周造の「偶然性」、「他者」、「いき」の考え方を使っているので普通に日本哲学の本として専門書の領域。というより、九鬼周三の思想を説明するのに最も適切なテーマが「恋愛」だったという感じ。2022/01/16

3
北村透谷や岩野泡鳴や有島武郎などの自己の獲得としての恋愛論に、九鬼周造の「いき」や「偶然」を対置して他者=不確定性に開かれた愛を語る。2021/09/29

ki_se_ki

3
いわゆる「恋愛の終焉」を説く論や、それを匂わせる物語は、すでに数多く存在する。それらの言説は「恋愛」の相対化という点ではあるレベルでの成果を上げたのかもしれない。しかし、このまま「恋愛」が終息していくのだとしても、ではその後にはどのような「関係性」がありうるのか。この点に関しては、これまで研究者も作家も明確には答えられなかったように見受けられる。そこで現れたのが本書だ。本書は、九鬼周造『「いき」の構造』を手掛かりとして、「恋愛」の後に来たるべき「新たな関係性」の契機を提示した、貴重な仕事となっている。2014/08/10

澄川石狩掾

1
有島武郎の『惜みなく愛は奪ふ』の「奪ふ」愛については、一般的な理解に留まっているように思う。有島の言うところの「愛」や「奪ふ」は一般的な意味とは大きく違う。2020/06/11

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