出版社内容情報
ポーランド・シベリア孤児760人を受け入れ、救済した事業の全貌!
第一次世界大戦・ロシア革命に伴う内戦で行き場を失ったポーランド、シベリア孤児たち。米騒動から戦後不況に苦しむ日本であったが、日本赤十字社を中心に救済事業が展開された。当時、大正デモクラシーの影響もあって窮民救済の機運もあり、寄付をはじめ、支援の輪も広がった。本書は日赤が残した克明な救済事業の日誌『波蘭児童関係日誌』の全ての翻刻とそれを通して見える日本人の貴重な人道支援の姿を照らし出す歴史再発見の書である。
【目次】
本文編
はじめに
本書刊行の意図/本書の構成
第一章 ポーランド国児童救済事業開始までの経緯
一 ポーランドの国情とポーランド孤児の発生
二 波蘭児童救済会の設立
三 日本赤十字社による「ポーランド国児童救済事業」引き受けの経緯
第二章 ポーランド国児童救済事業
一 ポーランド国児童救済事業の概要
(一) 第一次救済事業
(二) 第二次救済事業
二 日常の医療体制と腸チフス感染者発生時の対応
第三章 ポーランド児童に対する貞明皇后からの下賜、各団体による慰問、
日本国民の「同情」
一 貞明皇后による下賜と団体や個人による慰問
(一)東京における下賜・慰問
(二)大阪における下賜・慰問
(三)総 括
二 ポーランド児童に寄せられた「同情」
(一)東京における「同情」
(二)大阪における『同情」
三 新聞、雑誌等による報道
第四章 『日誌』から読み解くポーランド児童日本滞在中の暮らし
はじめに──『波蘭児童関係日誌』とは
一 1920(大正9)年7月24日から10月31日
(一)第一回、第二回、第三回ポーランド児童の東京宿舎
(二)ポーランド児童への慰問と慰安会
二 1920(大正9)年11月1日から1921(大正10)年3月31日
三 1921(大正10)年4月1日から4月30日
四 1921(大正10)年5月1日~ 8月14日
五 大阪収容所日誌 1922(大正11)年8月2日から9月7日
史料編1 『波蘭児童関係日誌』
史料翻刻にあたって
『波蘭児童関係日誌』自大正九年七月二十四日至大正十年八月十四
内容説明
ポーランド・シベリア孤児765人の受け入れと救済事業の全貌!第一次世界大戦後の不況下において、日本赤十字社を中心に展開された人道支援の貴重な記録。官民協同の救済活動の姿が蘇る。
目次
本文編(ポーランド国児童救済事業開始までの経緯;ポーランド国児童救済事業;ポーランド児童に対する貞明皇后からの下賜、各団体による慰問、日本国民の「同情」;『日誌』から読み解くポーランド児童日本滞在中の暮らし)
史料編(『波蘭児童関係日誌』;ポーランド児童関係団体による機関誌;新聞掲載のポーランド児童関係記事;雑誌掲載のポーランド児童関係記事;『極東の叫び』日本赤十字社記念号(第十号))
著者等紹介
宇都榮子[ウトエイコ]
専修大学名誉教授・福田会育児院史研究会代表。日本女子大学文学部社会福祉学科卒業
小笠原強[オガサワラツヨシ]
専修大学文学部助教・福田会育児院史研究会。博士(歴史学)。専修大学大学院文学研究科歴史学専攻博士後期課程単位取得退学
桜井昭男[サクライアキオ]
淑徳大学アーカイブズ主任専門員・福田会育児院史研究会。日本大学大学院文学研究科日本史専攻博士課程満期退学
菅田理一[スゲタリイチ]
鳥取短期大学幼児教育保育学科准教授・福田会育児院史研究会。淑徳大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程単位取得満期退学
村上葵[ムラカミアオイ]
福田会育児院史研究会。専修大学大学院文学研究科歴史学専攻修士課程修了、修士(歴史学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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