出版社内容情報
あらゆる歴史は現代史である(ベネデット・クローチェ)
コンバウン朝ビルマでは、第六代ボードーパヤー王(在1782 ~ 1819)が
1784年末、アラカン王国を制圧、当時上座部仏教の崇拝の的だった青銅製の
大牟尼仏を略奪し、同時に緩衝地帯はなくなり英領インドと対峙した。
ついで北部のマニプール王国、アッサム王国をも支配下におき、版図を最大に
広げ、列強国と角突き合わせた。
ベンガル州の平原プラッシーにおいては1756年6月23日、東インド会社が、
仏ベンガル太守の連合軍を撃破する。1764年10月には、ブクサールの戦いで
ムガル帝国・アワド太守・前ベンガル太守の連合軍を破り、1765年8月、
アラーハーバード条約が締結される。これにより東インド会社は、
ムガル帝国からベンガル、オリッサ、ビハール三州での租税徴収権を獲得する
こととなり、徴税官を介して財政基盤を固め、民間商社から政治機構へと転身する
こととなった。財源を失ったムガル皇帝とベンガル太守は、単なる年金受領者に
落魄し、同じように度重なる戦争と飢饉により東インド会社も財政難に陥っていった。
1774年、140万ポンドの政府貸付金と引換えにしたノース法により、本国からの
規制をも受けることとなる。1784年8月13日、ピット政権はインド法を議会通過
させ印度庁を政府内に設けた。東インド会社は多額の国費を本国に支払いながらも
政府との二重権力の下、インドの植民地化を推進。ナポレオンの時代になる1806年、
弟ルイはオランダに王政を布いたものの、兄の指示に従わなったため1810年、
オランダはナポレオンの直轄領とされることとなった。
これを契機に、1810年~11年にかけては、ベンガル総督ミントーがオランダ支配下
のジャワ島を侵略しラッフルズを知事代理に任命、4年間統治させた。ラッフルズは
1819年、シンガポールをも開く。間もなく王は第七代バジドー王に代替わりし、
そして、西欧列強による東南アジア進出はいよいよ拍車がかかることとなった。
本書は、こうした当時のミャンマー(ビルマ)情勢を背景として、
日本人の漂流民と、アワド藩王国出身のセポイ(インド兵)を主人公にすえて、
血湧き肉躍る冒険活劇的に、小説として創りあげたものである。
内容説明
欧州列強とアジア諸国の虚虚実実、権謀術数―戦はようやく楽しいものになりそうだった。そう感じる心は怪しい。何やら疑念がわいて胸がさわいだ。太陽は殺人的な輝きを放ちつづけた。
目次
曇天の霹靂
観念
遠雷
休憩の境地
退避
ヤンゴン攻防
治天村
雨のさなか
疼き
著者等紹介
野上勝彦[ノガミカツヒコ]
1946年6月、宮崎県都城市生まれ。小説家・英文学者。慶應義塾大学文学部中退。早稲田大学第二文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科英文学修士課程修了。英国ウォリック大学大学院欧州演劇科修士課程修了。英国バーミンガム大学大学院シェイクスピア学科博士課程修了(Ph.D.)。元職:千葉工業大学教授、早稲田大学及び大学院非常勤講師、明治大学兼任講師、跡見学園女子大学文学部兼任講師、千葉大学教養部・目白学園女子短期大学・芝浦工大工学部・日本大学・大東文化大学文学部の非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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