出版社内容情報
在日華僑社会における戦後政治運動、核心の証言!
戦後、在日華僑は日本、中国、台湾の揺れる国際関係
のなかで、板挟みの困難な立場に立たされてきた。
大陸、台湾の出身を問わず、北京か台湾かのいずれか
の支持を求められる状態は、
イデオロギーだけでなく、様々なファクターで
華僑社会の“分断”を働きかけた。
それにも拘わらず、未来への可能性を求めて活動し、
そして、ナショナル・アイデンティティを求めた
在日台湾人にとって、国民党も中国共産党も
“儚い夢”と化してしまった……。
戦後の日・中・台の歴史的関係を映す貴重な手がかり。
【主な目次内容】
解説──ある在日台湾人の精神の軌跡
第一部 呉修竹回想録
まえがき
第一章 出自と学校生活
第二章 台湾学生連盟から華僑総会へ(1945~1947)
第三章 「波瀾の歳月」に向けて(1947~1951)
第四章 花岡事件と殉難者遺骨送還(1951~1955)
第五章 日本政府及び国民党との闘い(1955~1964)
第六章 通信社と貿易会社の体験(1964~1973)
第七章 台湾省民会の動向(1973~1981)
第八章 国民党分析と中共認識
結語
コラム(5編収録)
1 留日華僑民主促進会と『華僑民報』
3 花岡事件と俘虜殉難者の遺骨送還運動
4 亜細亜通信社と中国通信社
5 台湾省民会と『台湾省民報』 ほか
第二部 呉修竹著作集(25編収録)
1「〈学び方〉の問題――文科の学生に與ふ(1)(2)」
2「べら棒な華僑への税金」
3「対日講和と中国の立場」
7「浜松収容所収容者の台湾強制送還に反対する抗議文」
(1955年)
8「興安丸の舞鶴出港不能に対する声明書」(1955年)
11「台湾を豊かな省に──帰国参観から感じたこと」
24「北京人民大会堂開催予定の〈座談会〉の発言原稿」ほか
第三部 呉修竹翻訳集(6編収録)
1「中国共産党中央委員劉少奇の『国際主義と民族主義を論ず』
――毛澤東はチトー化するか」
6 「認同から中国再認識へ」(原題「従認同到重新認識中国」)
ほか
・境界を越えた人生
──大叔父 呉修竹と大叔母 小林幸子(佐藤 円)
呉 修竹[ゴ シュウチク]
著・文・その他
何 義麟[カ ギリン]
編集
内容説明
在日華僑社会の戦後政治運動の核心を証言!戦後、在日華僑は日本、中国、台湾の揺れる国際関係のなかで、板挟みの困難な立場に立たされてきた。大陸、台湾の出身わ問わず、北京か台湾かのいずれかの支持を求められる状態は、イデオロギーだけでなく、様々なファクターで華僑社会の“分断”を働きかけた。それにも拘わらず、未来への可能性を求めて活動し、ナショナル・アイデンティティを求めた在日台湾人にとって、国民党も中国共産党も“儚い夢”と化してしまった…。戦後の日・中・台の歴史的関係を映す貴重な手がかり。
目次
第1部 呉修竹回想録(出自と学校生活;台湾学生連盟から華僑総会へ(一九四五~一九四七)
「波瀾の歳月」に向けて(一九四七~一九五一) ほか)
第2部 呉修竹著作集(執筆年順)(呉修竹「“学び方”の問題―文科の学生に與ふ(一)(二)」
呉修竹「べら棒な華僑への税金」
呉修竹「対日講和と中国の立場」 ほか)
第3部 呉修竹翻訳集(呉修竹訳「中国共産党中央委員劉少奇の『国際主義と民族主義を論ず』―毛澤東はチトー化するか」;姚立民作 宏文訳「ある鼎談の記録」(原題「炉辺夜話『蒋総統秘録』」)
魯冰山作 宏文訳「諷刺小説 孝子」 ほか)
著者等紹介
呉修竹[ゴシュウチク]
1922年台湾彰化生まれ。1940年私立台北国民中学校卒業、同年渡日中央大学予科進学、1943年法学部に入学、1946年大学院に進学、翌年中退。戦後、台湾学生連盟及び東京華僑連合会の幹部を経て、東京華僑総会の理事として華僑運動の中核メンバーとして活躍。1964‐67年亜細亜通信社常務取締役、1974年台湾省民会理事兼事務局長、1977年副会長担当、1981年事務局長辞任まで機関誌『台湾省民報』編集担当。1989年天安門事件後華僑総会離脱、1997年57年ぶりに一時帰台、2015年9月逝去
何義麟[カギリン]
国立台北教育大学台湾文化研究所教授。1962年台湾花蓮生まれ。1984年東呉大学日本語学科卒業、1999年東京大学大学院総合文化研究科学術博士取得。著書に、『二・二八事件―「台湾人」形成のエスノポリティクス』(東京大学出版会、2003年、第20回大平正芳記念賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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