出版社内容情報
1965年、日韓の新たな歴史への扉はこうして開かれた!
戦前の「36年間」、いや実質的には40年以上も
朝鮮半島は北の白頭山から南の済州島まで
丸ごと日本の植民地であった。
その間、朝鮮は歴史も文化も、民族性も踏みにじられたが、
償われることなく戦後を迎えた。その傷痕は「従軍慰安婦問題」
などのように、いまだ尾を引いている。
戦後、朝鮮は分断され、朝鮮戦争を経た後、引き続く冷戦状況
の中で、韓国は日本と同じ西側に属するようになった。
しかし、日韓は同じアメリカの傘の下に入ったのにもかかわらず、
戦前の問題についての認識が違いすぎて、
「日韓交渉」は十数年もぎくしゃくし、噛み合わなかった。
そこに登場したのが、本書の著者である
韓国の外務大臣・李東元と一方の立役者、椎名悦三郎外務大臣である。
二人はけっして外務官僚ではなかった。面子にこだわることなく
「外交」の鉄則である「妥協→妥結」を心得ていた。
お互いの信頼と約束を遵守する精神が、深い溝を埋めて
ようやく妥協点に達した。
そして二人は、よりよい関係の構築を次代に託したのだ。
本書は、50年前に結ばれた「日韓条約」の成立に漕ぎ着くまでの
二人の苦心談と日韓の政治状況を李東元が率直に書き残した
貴重な回想録である。
現在、日韓の間では、年間500万人以上の人が往き来しているが、
その基盤になっているのがこの条約である。
にもかかわらず、この条約にすべてを賭けた二人のことが
すっかり忘れ去られているのが、いかにも残念だと、
訳者の具末謨は述べている。
序章 わが生い立ちと大統領との出会い
第一部 日韓条約締結秘話
1 「明治維新」的志士・朴正煕
2 椎名は「幸運配達人」
3 頭を上げた李承晩と頭を下げた朴正煕
4 平和の「神風」
5 「酒を一杯……」長官室で
6 尹?善と椎名悦三郎
7 清雲閣の夢
8 「君が代わりに長官をやれッ!」
9 天皇裕仁の純真無垢
10 皇居に残した昭和元年生まれの笑顔
11 「李長官以外は皆死んでいるだろう」
12 「こんな書類を持って来るのに十五年も……」
第二部 外交回顧と教訓
1 椎名の遺言
2 「地位」は短くとも「名」は長い
3 「南北国連同時加盟」は二十五も年を取った
4 洗練された李秉?と大ざっぱな鄭周水
5 あの時、陸女史でなく朴正煕だったら……
6 「五年」の刑を受けて生まれた維新体制
7 朴正煕と織田信長
8 「政権は変わっても外交は残る」
9 アジアよ! 夢を写そう
訳者あとがき
李東元[イ ドンウォン]
イ・ドンウォン(1926 年~2006 年)。
延世大学中退後、アメリカの大学に留学、
オックスフォド大学院卒。
1962 年 韓国大統領秘書室長、
64 年 外務部部長(外相)、日韓条約に調印。
具末謨[グ マルモ]
グ・マルモ、1935 年~
早稲田大学卒、同大学院碩士学位取得、
延世大学大学院博士課程修了。
著訳書に、『韓国全羅散策ガイド』(評言社、2012)、
『至誠、天を動かす―大韓民国独立運動の父
島山安昌浩の思想と生涯』(李 光洙 著、興士団出版部 編、
具 末謨 翻訳、現代書林、1991年)ほかがある。
内容説明
1965年、日韓の新たな歴史の扉はこうしてやっと開かれた!
目次
序章 わが生い立ちと大統領との出会い(「裏口」入学の右翼青年;洪命熹、「私と一緒に北に行こうか?」;マリリン・モンロー捕獲作戦 ほか)
第1章 日韓条約の成立(「明治維新」的志士、朴正煕;椎名は「幸運配達人」;頭を上げた李承晩と頭を下げた朴正煕 ほか)
第2章 回顧と教訓(椎名悦三郎の遺言;「地位」は短くとも「名」は長い;「南北国連同時加盟」は二十五も年を取った ほか)
著者等紹介
李東元[イドンウォン]
1926年~2006年。延世大学中退後、アメリカの大学に留学、オックスフォド大学院卒。1962年韓国大統領秘書室長、1964年外務部部長(外相)、1965年日韓条約に調印
具末謨[グマルモ]
1935年~。早稲田大学卒、同大学院修士学位取得、延世大学大学院博士課程修了。(社)韓日平和交流協会顧問、在日韓国民団新宿支部顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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