憎悪と和解の大江山―あるイギリス兵捕虜の手記

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憎悪と和解の大江山―あるイギリス兵捕虜の手記

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  • サイズ B6判/ページ数 390p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784779114540
  • NDC分類 936
  • Cコード C0023

内容説明

戦争の記憶。交流による心の救済。第二次世界大戦時、香港で捕虜となり、日本に連行された英国軍兵士。待っていたのは、過酷な強制労働と暴力、飢え、病気との戦いだった…。京都府北部の大江山捕虜収容所における苦悶の日々と、戦後の地元の人々との交歓を経て、和解に至る道のり。

目次

戦争前のこと
召集
目的地はR.Y.F.H.H.
香港
降伏、降伏だ!
シャムシュイポ
収容所内の規律管理
アーガイル・ストリート捕虜収容所
リスボン丸の沈没
捕虜収容所での毎日
「地下牢」での航海
列車の旅
苦悶の大江山
ライスの入れ物
ごちそう
解放とサヨナラ
帰郷
四十年が過ぎゆきて
不思議な偶然
撮影開始
最後の点呼

著者等紹介

エバンス,フランク[エバンス,フランク][Evans,Frank]
イギリス、ウェールズの小村シャヌーネンに生まれる。第二次大戦中、イギリス陸軍ロイヤル経理隊の一員として香港へ派遣され、イギリス軍の降伏とともに日本軍の捕虜となる。日本に連行され、京都・大江山俘虜収容所で過酷な強制労働に従事。1945年に解放。帰還後はウェールズで公務員として勤務。1981年、戦争と捕虜時代の体験記『Yn Nwylo’r Nippon』(ウェールズ語)を発表。1984(昭和59)年に来日。その翌年、日本との和解の記録を加えた『Roll call at Oeyama P.O.W.Remembers』(英語)を刊行した。1996(平成8)年、79歳で逝去

糸井定次[イトイテイジ]
1936(昭和11)年、京都府与謝郡山田村(現与謝野町)に生まれる。京都府立加悦谷高等学校、京都学芸大(現、京都教育大)英文学科卒業。京都市内の中学校、京都府北部の高等学校に勤務。京都府立大江高校、網野高校、工業高校で校長を歴任。1971(昭和46)年イーストウェスト・センターより奨学金を得てハワイ州立ハワイ大学大学院留学。MA in Teaching English as a Second Language取得。元近畿大学豊岡短期大学特任教授。現在、与謝野アバリスツイス友好協会副会長

細井忠俊[ホソイタダトシ]
1949(昭和24)年、京都府与謝郡加悦町(現与謝野町)に生まれる。京都府立加悦谷高等学校、横浜市立大学文理学部文科(国際関係論専攻)卒業。カナダ、バンクーバーの州立ブリティッシュ・コロンビア大学へ留学。1978(昭和53)年、歴史専攻でMaster of Arts取得。ブリティッシュ・コロンビア大学、バンクーバー・コミュニティカレッジ、ダグラス・カレッジの講師を経て、1987(昭和62)年ダグラス・カレッジ国際教育センター長に就任。2007(平成19)年退官(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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おかむら

30
戦争中、京都の捕虜収容所で強制労働させられたイギリス人捕虜の自叙伝。元々私家版で出された手記に翻訳者がとても丁寧な解説や注記をつけてくれてます。収容所生活の悲惨さ。特に食事の貧しさへの恨みが何度も出てくる。当時は日本食が欧米人にとって全く未知の食べ物だったのがよくわかる。あとがきに出てくる当時兵士たちに書いてもらった食べたいものノートの記述がなんか泣けたわ。あとおなじく後書きの著者の戦後の暮らしぶりもショッキング。戦闘に参加してなくても戦争の後遺症が長い間続く辛さ。2016/10/07

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