目次
名鉄岡崎市内線の歴史(電車前史(岡崎馬車鉄道の時代)
馬車から電車へ(岡崎電気軌道の時代)
三河鉄道との合併(三鉄軌道線の時代) ほか)
岡崎市内線沿線を歩く(福岡町‐岡崎駅前(福岡線)
岡崎駅前‐車庫前
車庫前‐殿橋 ほか)
岡崎市内線の車輌(最後まで走った20輌;過去の車輌;岡崎電気軌道の車輌 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
えすてい
9
岡崎市程度ならある程度の「近代化」が見込めたかもしれない。しかし、名鉄は車両も会社もその経歴から旧態依然かつ老朽化した車両を多数抱え、地域柄不採算路線も多数抱え、「近代化」を図れる余力はなかったのだろう。挙母線・福岡線合わせて8.8㎞で都市間連絡もなければ(豊田市は大樹寺で乗り換え)、存在意義が薄れてしまう。仮に挙母線が岡崎市内線と一体化したLRTとなって豊田と岡崎の都市間連絡線として転換すれば、挙母線が国鉄岡多線建設を被るにせよ、「存命できた」かもしれない。2020/04/15
えすてい
8
岡崎市内線は正確には岡崎井田~岡崎駅前だが、事実上一体化された運転系統である挙母線の岡崎井田~大樹寺と福岡線岡崎駅前~福岡町を纏めて「岡崎市内線」だった。ボギー車は2両だけで最後まで半鋼製車が入らず木造車、それも空気制動はボギー車の2両だけで残りの単車はハンドブレーキ。旧態依然で車に勝てるわけがなく。また、名鉄名古屋本線との接続も、東岡崎駅前電停と東岡崎駅が300mほど離れていたのも痛かっただろうな。乗り換え駅で300mを徒歩で移動するのはネックでしかない。東岡崎駅前に直接乗り入れる路線だったら・・。2020/04/02
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