内容説明
1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁における米軍水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被ばくした。戦後日本の転換点となった事件の全容とその後の第五福竜丸がたどった運命、日本から世界に広がっていった反核運動、マーシャル諸島をはじめとする世界の核実験被害、第五福竜丸と核をめぐる芸術家の表現など、「第五福竜丸展示館」が収集・研究を進める最新の資料とともに明らかにする。
目次
第1部 ビキニ水爆実験と第五福竜丸の歩み(第五福竜丸、水爆実験に遭遇;ビキニの海へ俊鶻丸による調査;ひろがる原水爆禁止の声と署名運動 ほか)
第2部 第五福竜丸展示館収蔵品(漁船・第五福竜丸と漁業;表現されるビキニ事件)
第3部 資料(世界の核爆発実験リスト;第五福竜丸・核関連年表;第五福竜丸関連収蔵品リスト ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
coolflat
5
読売のスクープがなかったら、久保山無線長が打電していれば、ビキニ事件は闇に葬られていたかもしれない。というのは、米国にとって核実験は機密で、漏洩を極度に怖れていたからである。皮肉にも当時、読売は、原子力平和利用推進キャンペーンを展開中で、原子力に詳しい記者を抱えていたからスクープできたという事。久保山に徴用漁船の経験があった事。その経験から敵を見つけ打電すれば、敵方にも傍受され、攻撃を受ける事を熟知していたのである。久保山はビキニ環礁から遠く離れるまで打電しなかった。米国にキャッチされずに済んだのである。2014/09/07
takao
2
ふむ2023/01/23
Takao
2
2014年3月1日発行(初版)。ビキニ事件から60年目の2014年、第五福竜丸平和協会・明治学院大学国際平和研究所共催で連続市民講座「いま水爆の時代を問う~核と向き合い明日へ」がおこなわれ、明学白金キャンパスに4回通った。本書はその時求めたもの。部分的には読んでいたが、65周年の今年、読み終えた。何回か展示館も訪れ、第五福竜丸に関する本もだいぶ読んできたが、それでも学ぶことの多い本だった。ビキニ環礁での被災後、久保山無線長がSOS発信しなかったのは、戦時に軍に徴用された経験があったからというのもその一つ。2019/08/31
かじやん0514
1
これは素晴らしい本。ビキニ事件の全体像が豊富な写真と資料で分かるとともに、この事件を後世へ引き継いでいく意義が多面的に述べられている。2014/05/22