出版社内容情報
日本国内、海外へ反核の思いを伝え続けた、二重被爆者山口さんが
私たちに遺したメッセージ。
仲代達矢さん推薦!
語り部 山口彊(つとむ)からあなたへ
山口さんは、1945年8月6日広島で、8月9日長崎で、
二度被爆しました。戦後60年以上経て、90歳になってはじめて
重い口を開き「二重被爆」の体験を語りはじめました。
日本国内、海外へ反核の思いを伝え続けた山口さんが
私たちに遺したメッセージ。
仲代達矢さん推薦! 小中高の平和教育にも。
8.6ヒロシマ
その時、私は見ました。小さな白い落下傘が2つ、相当の距離を保ちながら、次第に落下してくるのを丁度打ち上げ花火のときに見られる白い小さい2つの落下傘でした。私は急に身の危険を感じました。瞬間、中空に炸裂する大火球を見ました。青より白色に近いマグネシウム色の大爆発でした。私が職場に向かいいも畑を歩いていたです。後で知ったことでしたが、私が被爆した江波電停は、爆心地から約3キロメートルの地点だったのです
8.9ナガサキ
「ピカッ」とあの閃光がしました。私は本能的に広島のあれだとそのまま机の下に飛び込みました。轟音がして爆風が室内を隅なく吹きめぐり、10センチ先もみえないほどのゴミと、図面や書類が吹きまくられました。広島とおなじような熱風が襲いかかりました。
内容説明
山口彊さんは、1945年8月6日広島で、8月9日長崎で、二度被爆しました。戦後60年以上経て、93歳になってはじめて重い口を開き「二重被爆」の体験を語りはじめました。日本国内、海外へ反核の思いを伝え続けた山口さんが私たちに遺したメッセージ。
目次
第1章 二重被爆者がいる?
第2章 原爆を二度体験した人びと
第3章 山口さんという人
第4章 記録映画をつくろう
第5章 二重被爆ヒロシマからナガサキへ300キロ
第6章 山口さん、国連で演説する
第7章 世界の若者へ反核をバトンタッチ
第8章 やっと手に入れた二重被爆の証
第9章 ジェームズ・キャメロン監督との約束
著者等紹介
稲塚秀孝[イナズカヒデタカ]
1950年北海道苫小牧市生まれ。1973年中央大学卒業、番組制作会社テレビマンユニオンに参加。ドラマ・ドキュメンタリーのディレクター・プロデューサーを務める。1985年、タキオンを設立。現在、株式会社タキオンジャパン代表取締役(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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