内容説明
ラカン派精神分析を手掛かりに、臨床と思想の両面から、現代の臨床‐倫理を模索する。自閉を「開かれ」としてとらえ、「心」の見方について再考を試みる意欲作。
目次
第1部 歴史を振り返る(「発達障害」の問題圏―歴史的・精神分析的考察)
第2部 発達障害を「聞く」―ラカン派精神分析臨床の視点から(発達障害における「生」と「死」の問い―発達障害児と母親との間で何が分有されているのか;学校×発達障害×精神分析―発達障害と「自我の目覚め」)
第3部 現代ラカン派の「自閉」論(ベルギーのラカン派による施設での臨床について;ラカン派精神分析における自閉症論;言語に棲まうものと知―デビリテから睡眠障害へ)
第4部 “開かれ”の空間―思想史の視点から(とぎれとぎれに結びつく―発達障害から関係性を考える;可能的なものの技法―「自閉」のリトルネロに向けて)
著者等紹介
上尾真道[ウエオマサミチ]
1979年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。現在、滋賀県立大学非常勤講師
牧瀬英幹[マキセヒデモト]
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、中部大学生命健康科学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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踊る猫
21
ラカンに対しては胡散臭さしか感じていなかったので眉唾ものではないかと構えて読んだのだけど、なかなか興味深い論考が並んでおり読む手が止まらない。発達障害者は無秩序なことを喋っているように見えても、実は彼らなりに自分を開いてコミュニケーションを試みているのだという指摘は参考になること多し。私自身発達障害者であるが故の「ズレ」を感じるので、この理屈は更に発展されることを願いたい。ただ、ラカンに即した具体的な臨床例のレポートはやはりこじつけが過ぎるように思われ、当事者も家族も参考にしにくいのではと思う。そこが難か2017/09/11
またの名
17
靖国神社に上京して参拝し「日本の軍人は国のために戦ったのに…」が口癖の不登校女子中学生、いつか自分が情欲に負けて性犯罪をする不安に駆られ女性になった方が有利かもと考える青年。診断名としては発達障害や自閉症スペクトラムだけど、その主体としての苦悩や物語は、精神分析の時代が完全終了したとの結論をためらわせるのに十分。ラカン派が自閉症を精神病と一緒にしてるという批判はもはや当たらず、ルフォール夫妻、エリック・ロランそしてマルヴァルに至って独立した第四の構造に位置付けた流れも記述し、ラカン派の現在進行形が見える。2018/09/21
かがみ
4
現代において自閉症は脳機能の先天的障害であるという理解が一般的になっており、目下のところ、自閉症を完治させる治療法は存在せず、ゆえに精神分析といえども、残念ながら自閉症に対する有効な「治療法」とは成り得えない。ただ、狭義的意味の「治療」以外において、精神分析は自閉症圏へ何らかの有意的なアプローチで切り込むことが可能なのではないか?と、そう本書は問う。本書の共著者の面々は、現代ラカン派を担う気鋭の論客揃い。「自閉症」という現代的視点からラカン派精神分析の理論と臨床の到達点を俯瞰することができる一冊。2017/08/17