目次
序論(フランス革命;キリスト教;形而上学(存在論)
弁証法
区分と始原)
有論(規定性(質)
大いさ(量)
度)
本質論(自己自身の内にある反省としての本質;現象;現実)
概念論(主観性;客観性;理念)
著者等紹介
海老澤善一[エビサワゼンイチ]
1945年8月生まれ、京都大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1973年4月愛知大学教員となり、哲学・論理学を教え現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
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3
以前と同じ 2018/03/22
Z
3
ヘーゲルの頭はおかしいことがわかった。論理学という名に反し、非論理的、むちゃくちゃな論理だが、それをかなり噛み砕いて説明している。40年以上ヘーゲルの学者であったものが、正直にここはよくわからないといいながから、大論理学を説明する。大論理学には一生手を出さないでおこう。2014/04/06
Z
2
以前と同じ。2015/09/01
左手爆弾
1
『大論理学』はフランス革命の影響を受け、哲学の内に宗教が入り、古い形而上学に終焉を告げるという文脈の中で書かれている。弁証論は対立の中に同一を見出す運動で、その意味において新たな学の方法の基礎をなす。「有」はただ「ある」ことから内容を持ってあることへと転化している。一即多の問題。スピノザ的な神においてはその自己展開の可能性が遮断されているため、神の不完全性を示すものになってしまう。とまぁ、こんな風にまとめてみることはできるけど、要するにこの分量に凝縮したものは、簡単にまとめきれないということ。2016/05/27
パット長月
1
たまに思い出しては数ページ読みなんてことをやっていたら、読了にものすごく日数がかかってしまった。とても丁寧に解説してくれているが、何しろ原著が名にし負う歴史的超難解本だから、やはり難しい。具体的に何を言っているのかまったくイメージできず、ただただ困惑という箇所も多々ある。著者も当たり前のように高飛車な姿勢で解説するのではなく、はっきりとはわからないが、長年の研究の末に、自分はこう考えるという内容を、著者が一生懸命説明してくれている雰囲気はよく伝わってくる。それゆえ、わからないが、哲学している気分にはなる。2014/10/17