内容説明
太平洋戦争末期、首都防空部隊で「疾風」の稼働率一〇〇%を達成した整備の神様が描く陸軍機発達史。輸入・模倣の時代から、試作番号「キ1」以降の本格的国産の時代まで、新型試作機審査に従事した航空技術研究所での経験、関係者の貴重な証言に加え、著者が全力で取り組んだ「鍾馗」「疾風」の技術的解析もおさめる。
目次
軍用飛行機はこうして生まれた
輸入機の模倣時代はつづく
自主航空新時代が始まった
わが青春の忘れられぬ愛機
パイオニアの辿る道は常に茨だった
名戦闘機「隼」は苦難の生涯を送った
わが「鍾馗」はなぜ悲運だったのか
名誉を保持した傑作機を称える
液冷戦闘機「飛燕」はスターダムにのしあがった
戦争は科学技術の進歩発達を早めた
本土決戦機「疾風」は泣いている
著者等紹介
刈谷正意[カリヤマサイ]
大正7年、高知県に生まれる。昭和9年2月、所沢陸軍航空飛行学校第一期技術生徒として入校。昭和11年11月、陸軍航空技術学校(改称)同上課程卒業。朝鮮平壌飛行第六連隊付。昭和12年7月、独立飛行第九中隊付、日支事変出動。昭和14年3月、陸軍航空技術研究所付。キ44、キ43、キ51等の審査に従事。昭和15年3月、陸軍航空整備学校第一回甲種学生に入校、同五月卒業。昭和16年10月、独立飛行第四七中隊付(キ44)。12月、大東亜戦争参加のためサイゴンへ向かう。昭和17年6月、陸軍航空士官学校第22期学生に入校。12月動向卒業、陸軍航空技術学校第7期丙種学生入校。昭和18年5月、同校卒業、飛行第47戦隊に復帰。陸軍大尉。戦後は航空会社の整備部長などを歴任。平成14年11月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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