内容説明
単機で遙か洋上の敵地に進入し、その散り際を見届ける者もない…。偵察の成果は海戦の勝敗を決するといっても過言でなく、搭乗員には高度な技術と判断力が要求された。九四式水偵、零式水偵、二式艦偵、彗星、彩雲と乗り継いで、敵制空権下六〇〇〇キロの挺身偵察をも成功させて帰還したベテラン偵察員の記録。
目次
プロローグ―「あ号作戦挺身偵察」出撃の日
雛鷲はばたく
艦隊勤務
偵察特練
トラックの一五一空
あ号作戦挺身偵察
再起―一四一空開隊
比島死の攻防
アパリへの道は険し
三四三空での本土防衛戦
一七一空と沖縄戦
運命の夏
平和の空へ
著者等紹介
田中三也[タナカミツナリ]
大正12年(1923年)、石川県生まれ。昭和14年10月、第5期甲種予科練習生として霞ヶ浦航空隊に入隊。太平洋戦争開戦翌年の17年2月、飛行練習生教程を修了、水偵偵察員として舞鶴航空隊、インド洋の第12特別根拠地隊で哨戒任務に就く。同年7月、重巡「利根」に水偵搭乗員として乗り組み、ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。18年8月より第11期特修科飛行術(偵察専修)練習生。19年2月よりトラック島の151空(3月より偵察101飛行隊)。同年5月二式艦偵で「あ号作戦挺身偵察」に成功、連合艦隊司令長官より個人感状授与。7月より141空で「彗星」偵察機に乗り、九州、台湾、比島で作戦。11月、任海軍飛行兵曹長。20年2月、343空偵察第4飛行隊に転じ、「彩雲」で本土防空戦に参加。終戦後の20年9月、任海軍少尉。民間会社に勤務後、30年海上自衛隊入隊。対潜哨戒部隊勤務後、国土地理院委託の航空測量に従事、第3術科学校教官で定年退官(二等海佐)。退官後、50年まで日本フライングサービス(株)、日本航空機輸送(株)で国内各地、比島、アフリカ等の測量業務に就く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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