内容説明
日米四万二千の死傷者を出して、砂浜を鮮血にそめた太平洋戦争最大の激戦場・硫黄島―なぜ日本軍は東京の玄関先で孤立無援の死闘を展開したのか。そして硫黄島の攻防戦が世界的に有名になった理由はなにか―守備計画に参画して、飛行場を海に沈めることを主張した異色参謀が貴重な資料と体験で描く感動作。
目次
第1部 一参謀の回想(世界最大の激戦地;翼をもぎとられた孤立の島;サイパンは難攻不落といわれたが;次は硫黄島だ;パイナップルとジャングルと硫黄島 ほか)
第2部 遺族の回想(栗林兵団長の家庭への便り;遺族の言葉)
著者等紹介
堀江芳孝[ホリエヨシタカ]
大正3年8月、茨城県猿島郡に生まれる。県立境中学卒。昭和11年、陸軍士官学校卒業。歩兵第2連隊第7中隊付。12年、連隊旗手、幹部候補教官。13年、通信班長として日華事変に出征、開封にて重傷を負う。17年、陸軍大学校卒業。船舶参謀、陸海軍連絡参謀、第31軍参謀(サイパン空襲のため赴任できず)、硫黄島参謀を歴任、栗林忠道中将とともに硫黄島の守備計画をたてる。派遣参謀として父島で終戦を迎える。陸軍少佐。戦後、在日米空軍に勤務するかたわら米メリーランド大学極東部講師、拓殖大学講師を務める。米海兵隊終身名誉会員。平成15年8月歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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