内容説明
なぜ日本は日露戦争の勝利という頂点に立ちながら、転落の道を歩まねばならなかったのか―日本という国家の脆弱さと列強の思惑をよく知り、米英との協調のなかに日本の進むべき道を見出そうとした海軍の至宝、加藤友三郎。日本海海戦で連合艦隊参謀長として奮戦し、また偉大な政治家でもあったその足跡を辿る。
目次
第1章 生い立ち(誕生;友三郎の父・七郎兵衛と母・竹 ほか)
第2章 二つの大きな戦い(日清戦争;海軍省軍務局課員 ほか)
第3章 新しい時代へ(第一次世界大戦と日本海軍;帝国国防方針 ほか)
第4章 日本を生かす道(ワシントン海軍軍縮会議;加藤友三郎の戦略思想 ほか)
著者等紹介
工藤美知尋[クドウミチヒロ]
昭和22年、山形県長井市に生まれる。45年、日本大学法学部卒業。47年、日本大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。47~49年、ウィーン大学留学。54年、東海大学大学院政治学研究科博士課程修了。60年、政治学博士(国際関係論・外交史専攻)。日本大学専任講師の後、平成4年、社会人入試・大学院入試のための本格的な予備校、青山IGC学院を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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おっくー
4
書店で見かけて興味を持ち買った本。加藤友三郎と言えば軍縮と言うイメージしかなく、あまりよくは知らなかった。本の半分ぐらいは日本海軍史と同じような内容。後半から加藤友三郎の話。非常にためになった。戦史が好きな人は読むべし。印象に残った一言、「国防は軍人の専有物に非ず」2014/06/04
駄目男
1
加藤友三郎の名は現在では忘れられてしまった。しかし「アドミラル・カトー」に対する評価は欧米では高い。理由はワシントン軍縮会議。全権は加藤友三郎。議題は英米10の艦船量に対し日本は7という要望。結局、加藤は対米英比率6割で条約を可決。日米友好協調路線への転換と受け止められその後、総理になった加藤は将来を見越し英米のように日本も文民統制であるべきと唱えまた軍令部廃止論も提唱。しかし大正12年8月死去。存命が長ければロンドン軍縮会議の海軍部内の分裂、或は日米開戦も起こらなかったかもと思うと残念な気持ちだ。 2016/10/21
Hachi_bee
1
加藤大将のことそのものについてではなく、周囲の人物や出来事を中心に書かれている印象を持ち、少々不満を持って読み進めましたが、最後まで読むと、それによって人物が浮き彫りになっているコトに気付きました。加藤大将がもう少し長生きしていれば世界の歴史は大きく変わっていたかも知れないと思わされました。大きすぎる歴史のifです。2011/04/23
レオ☆
0
海軍軍人の一人でもあり、僕からみて、戦前・戦後を含めた歴代の首相ナンバーワンだと思う。特に、ワシントン軍縮に関しては、かなりの軍人などをリストラしたが、首相になってからは、自分の身も削減した。