内容説明
大戦末期の日本潜水艦の非情なる戦い。伊五十六潜に赴任した若き軍医中尉が、比島東方沖の深度百メートルで体験した五十時間におよんだ米駆逐艦との想像を絶する死闘―最高室温五十度に達する閉ざされた地獄の艦内で、搭乗員たちは黙々と耐え、真摯にその職責を全うする。汗と涙の滴りを見つめる感動の海戦記。
目次
前編(伊号第五十六潜水艦;艦内生活第一日;襲撃訓練;軍港の表情;出撃に備えて ほか)
後編(表彰状;渠底;人間魚雷;猜疑;決意 ほか)
著者等紹介
齋藤寛[サイトウカン]
大正5年10月、東京小石川に生まれる。九段中学卒。昭和18年、慶応大学医学部卒。23年、厚生技官。33年、医療法人財団海上ビル診療所所長に就任。42年(財)労働医学研究会、八重洲口診療所所長、ついで理事となる。富士銀行嘱託、丸山製作所、池袋病院、前沢化成工業、日鉄商事の各顧問ほかを務める。昭和59年4月歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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植田 和昭
14
イ56の死闘を軍医という立場から見た貴重な書。フィリピン沖の海戦とアドミラルティ泊地への回天攻撃が語られる。昭和28年という古い出版なので、親切にしてくれる芸者の事を「おばけ」とよんだり、チョンガーといった差別用語もみられ、今日では問題だと思うが、これは当時は知識人でも当たり前だったのだろう。海軍独特の隠語も数多く登場する。これは、一覧があるのでよくわかる。バターを一日60g食べさせるとか、蛍光灯が日光浴になるとかよくわからない科学療法が信じられていたようだが、日本の指導部は何か勘違いをしていたようだ。2024/10/08
こまったまこ
12
伊56潜に勤務していた若き軍医長の手記。戦闘や操船には関係ないせいか他の乗組員たちを一歩引いた位置から冷静かつ詳細に観察している。艦内のあらゆる配置の主だった人が登場し、それぞれに性格があり、日常の細々した会話や様子が描かれ、かなり興味深い。前半のクライマックスは爆雷回避のための50時間にも及ぶ潜航である。炭酸ガスの濃度と室温が徐々に上がっていき艦内の人間(と鼠)が極限状態に追い込まれていく。その様子がただでさえ臨場感のある文章なだけにこちらまで息苦しくなった。まさに「鉄の棺」を実感させられる話だった。2015/06/04
ぼちぼちいこか
11
著者は海軍医。潜水艦伊号五十六号に乗る。今まで潜水艦の話はいくつか読んだが、この本にはリアリティ満載で潜水艦に乗った著者ならではの五感で感じた描写が特筆だと思う。 臭い、汚れ、空気が狭い空間を身近に感じられた。後半になると回天の特攻隊員が配置されるが、その異様さ、作戦に対する海軍の非常な扱いに軍医として気持ちを綴っている。潜水艦という特殊な戦艦に乗り、同じ時間を過ごすと妙な連携感が生まれるが、配置転換の命令で壊れてしまう。著者も艦を降りることになったが終わりが尻切れトンボ感になった。2019/11/07
もちもち
5
著者は軍医なので戦闘配置にはつかないので状況を冷静に観察しているという印象。 昭和初期の人は若くてもマヨネーズやバターは好まなかったんだな。 生死を共にする鼠を簡単に殺鼠剤で殺すのは少々辛いものがあると思った。2021/01/23
福井 康
4
伊号56潜水艦軍医長の実話、2回の出撃は共に約45日、呉では潜水艦乗りと航空兵へは酒とビールが多めなどの気遣いはあった。 艦内は、独居房以下の閉塞感、高温高湿の息苦しさ、長時間の潜航による酸素不足、爆雷攻撃による絶望の中で生まれる一体感、想像を超えた敵艦船とのやりとり、回天を4艦も潜水艦上に搭載しての航行。 汚い兵隊は潜水艦乗りで、帰投後の風呂では垢が落ちるまで4回も洗っていたとは。 呉で現代の潜水艦の内部を見学した時にこんなに狭いところでと思ったが当時はそれ以上であったろう。2025/03/27
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- ラスベガス・71