内容説明
日米海軍が総力をあげて戦った空母決戦の先鋒となり、一降下必中のダイブにかけた空の猛者―初陣の一弾を真珠湾の戦艦に叩きつけた急降下爆撃機パイロットが、瞬刻に形勢を転じる最前線の実像を描くノンフィクション。極寒のアリューシャンから炎熱のソロモンへ、非情の空に生きた艦爆搭乗員の感動の空戦記。
目次
第1章 空への憧れから(土佐湾のフランス機;操縦練習生 ほか)
第2章 真珠湾攻撃(行く先不明の出港;ひるがえるZ旗 ほか)
第3章 太平洋の南と北で(運命のラバウル占領;ポートダーウィン攻撃 ほか)
第4章 ソロモンの攻防(ガ島をめぐる戦い;敵艦爆とすれ違う ほか)
第5章 悲しき航空決戦(彗星艦爆出撃す;落日の基地艦爆隊 ほか)
著者等紹介
山川新作[ヤマカワシンサク]
大正9年、高知県に生まれる。昭和13年6月、佐世保海兵団に入団。翌年、第48期操縦術練習生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。15年10月、空母「飛龍」乗組、太平洋戦争開戦時、「加賀」より真珠攻撃に参加、「龍驤」「春日丸」「隼鷹」などに乗組。終戦時、海軍飛行兵曹長。昭和30年、航空自衛隊に入隊。45年、日本航空に入社、操縦教官、航空大学校教官の後、53年より地上勤務となる。現在、東日本航空専門学校校長
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感想・レビュー
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スー
16
133真珠湾攻撃からポートダーウィン・ラバウル・ダッチハーバーの攻撃に参加し最後はマラバカットに移動する、しかし出撃の直前に空襲に遭い貴重な飛行機の多数を失う、今度は部隊丸ごと神風特別攻撃隊に編成されるが飛行機が無いためすることが無くなり米軍が上陸すると刀を渡され飛行隊は歩兵となり切り込みを命じられる。次は台湾や日本に行くよう命じられ輸送機が来る飛行場まで20日以上徒歩で行き日本で無事に終戦を向かえる。筆者が度重なる激戦を生き抜けたのは愛機に「全日本女学生号」と名付けるユーモアがあったからなのかな?2019/09/08
yamatoshiuruhashi
8
開戦劈頭、真珠湾の空爆にも参加した艦上爆撃機乗りの回顧録。急降下爆撃という驚異的な戦闘方法の過酷さがよくわかる。貴重な記録。2015/12/31
えふのらん
4
零戦と同じ灰緑色故にスポットがあたらず、かつ生存率の低かった九九艦爆と彗星両方を乗りこなし真珠湾、インド洋作戦に参加、終戦まで生き残った艦爆乗りの戦記。戦闘機のような華々しさはないが、ほぼ直角で爆弾を投げ落とす様子は艦爆特有の迫力がある。肝が据わっていないと出来ない芸当だが、その傾向が出撃直前までの熟睡や自陣への空襲鑑賞などすっとぼけな方へ向いているのが何とも面白い。(敵の急降下爆撃の“お手前を拝見”、B-29の爆撃を壮大雄揮な敵の反攻作戦、偉大なる物量と表現)2014/04/21
もちもち
3
戦闘機の搭乗員の手記はよく読むが、帰還率の低い急降下爆撃機のパイロットの手記は初めて読んだ。 出撃の日に寝坊をしたり、空襲があってもギリギリまで逃げなかったり、著者のマイペースな性格が伝わってきた。 全日本女学生号という愛機のニックネームも良い。2021/02/12
チャメ
3
艦爆をテーマとした手記。知りませんでしたが著者は、戦後も航空界を全うされた方なんですね。自身をノンビリ屋と言い、出撃も最後尾が多いためダイブ後の集合地点にも間に合わず単独航法で帰還することが多い。尻切れトンボだった「空母雷撃隊」の金沢氏と微妙にリンクし、ヒゲの西山氏が共に出てくるのもあって両著を比較しながら読めた。戦闘のリアリティが高いうえ、特攻に対する悲嘆なども窺える。何と言っても、生還率の低い艦爆で真珠湾から終戦まで生き延びたことは、著者曰く「運」だけなんだと思うと非常に貴重な手記と思える。2014/04/15