内容説明
太平洋戦争中盤、大量の海軍士官養成の必要から海軍兵学校は江田島の本校に加え岩国、大原に分校を開校、終戦時には75期生から最後の77期生まで、3校で1万名を超える海軍士官の卵が学んでいた。入校式で吊る憧れの短剣は輸送途中に空襲で焼失、借り物で済まし、純白の夏制服は緑色に染められ、酒保・甘味品もなし。しかし、戦時下にあって、終戦まで英語の授業が行なわれ、普通学が重視されたという―「岩国分校」で学んだ元77期生の著者が、各種の資料、多くの同期生の証言などを得て初めて詳細にまとめた知られざる分校の記録。
目次
第1章 海軍兵学校を目指して(中学生時代、そして太平洋戦争;兵学校を受験)
第2章 海軍兵学校の概要(兵学校の教育方針;歴代の兵学校長 ほか)
第3章 岩国分校の教育と生活(入校前、江田島にて四月五日~九日;入校式四月一〇日 ほか)
第4章 分校の日々、疎開そして敗戦(生徒作業簿等より;入校教育四月一一日~五月一日 ほか)
著者等紹介
菅原完[スガハラカン]
1929年、山口県生まれ。海軍兵学校77期。戦後は航空自衛官(管制幹部)を経て東亜航空に入社、運航部運航管理者。その後、日本航空機製造に出向、ペルー国ランサ航空にてYS‐11の運航支援。帰国後は運航部技術課長。日本国内航空との合併により航務部基準課長、乗員訓練所座学教官、訓練計画課長兼海外委託訓練管理者、教官室長代理、乗員部次長を歴任。定年退職後も引き続き日本エアシステムに勤務、外人乗員導入時の座学教官兼海外委託訓練管理者を務め、1995年退社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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