海軍兵学校 岩国分校物語―最後の兵学校生徒が綴る生徒館生活記

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  • サイズ B6判/ページ数 199p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784769816058
  • NDC分類 397.07
  • Cコード C0095

内容説明

太平洋戦争中盤、大量の海軍士官養成の必要から海軍兵学校は江田島の本校に加え岩国、大原に分校を開校、終戦時には75期生から最後の77期生まで、3校で1万名を超える海軍士官の卵が学んでいた。入校式で吊る憧れの短剣は輸送途中に空襲で焼失、借り物で済まし、純白の夏制服は緑色に染められ、酒保・甘味品もなし。しかし、戦時下にあって、終戦まで英語の授業が行なわれ、普通学が重視されたという―「岩国分校」で学んだ元77期生の著者が、各種の資料、多くの同期生の証言などを得て初めて詳細にまとめた知られざる分校の記録。

目次

第1章 海軍兵学校を目指して(中学生時代、そして太平洋戦争;兵学校を受験)
第2章 海軍兵学校の概要(兵学校の教育方針;歴代の兵学校長 ほか)
第3章 岩国分校の教育と生活(入校前、江田島にて四月五日~九日;入校式四月一〇日 ほか)
第4章 分校の日々、疎開そして敗戦(生徒作業簿等より;入校教育四月一一日~五月一日 ほか)

著者等紹介

菅原完[スガハラカン]
1929年、山口県生まれ。海軍兵学校77期。戦後は航空自衛官(管制幹部)を経て東亜航空に入社、運航部運航管理者。その後、日本航空機製造に出向、ペルー国ランサ航空にてYS‐11の運航支援。帰国後は運航部技術課長。日本国内航空との合併により航務部基準課長、乗員訓練所座学教官、訓練計画課長兼海外委託訓練管理者、教官室長代理、乗員部次長を歴任。定年退職後も引き続き日本エアシステムに勤務、外人乗員導入時の座学教官兼海外委託訓練管理者を務め、1995年退社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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かおりんご

34
「海軍兵学校と言えば、江田島」のイメージしかなかったけれど、大原や岩国にも分校があったことを、この本で初めて知りました。77期生として入校し、たった2ヶ月間だけ岩国分校で過ごした著者は、文字通り最後の兵学校生徒です。岩国も危ないと言うことで入校2ヶ月後に周防大島に疎開になり、それまでの課業も続けられなくなったそうです。日記から一日の様子を振り返っておられるので、戦時下での学校生活がよく伝わってきます。残念なのは、文中に「あまり覚えていない」との記述が多々あること。切り口が新鮮なだけに、なんだか勿体ない。2015/11/08

Miyoshi Hirotaka

13
組織は人の質による。高い志を持った若者を厳しく選別し、さらに試練を与え、組織にコミットし、高い視点でミッションを完遂できるリーダーに育成できるかどうかが組織の命運を左右する。戦況が悪化して米軍機が飛来しても広島に原爆が落とされてもカリキュラムは続いた。艦船に乗り組んむことはなかったが、戦後復興という戦場に出陣。使命を果たし、次世代を育成した。5分前行動や出船精神のような規律やシーマンシップ、様々な行事や儀礼を共に体験することで人間関係を深める手法は形を変えて私が社会に出た昭和後期まで残り、機能していた。2022/10/29

Ayano

1
やっと見つけた岩国分校に焦点を当てた本。 海軍兵学校77期 イ107分隊だった祖父の当時を垣間見れた本だった。作中に、久賀に疎開中のイ107分隊の75期の方々の写真が出てきたけど、この方たちが祖父にとっての1号だったのかと思いを馳せた。 すでに鬼籍に入っている祖父が生前、兵学校の話を一切しなかったのもなんとなく腑に落ちた気がする。 江田島の教育参考館に飾ってある期ごとの写真、77期の写真と同じものを形見にもらっているのでこれからも大事に肌身離さず持っておきたいと強く思った。2019/07/22

ごいんきょ

1
海兵77期。4か月半の生徒時代。 海兵の分校が岩国に在ったことを知ったのは数年前。かなり知られていないんですね。2016/03/18

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