内容説明
死者をたたえるのは誰のためなのか?第1部は、カトリックの殉教者を顕彰する列福式を契機に開催されたシンポジウム記録。死者を顕彰することと信仰との関係について、哲学者・高橋哲哉の問題提起を受け、真宗大谷派僧侶・菱木政晴とカトリック司教・森一弘が、宗教者が戦争へと人々を駆り立てた歴史を踏まえ、殉教と殉国の同型性の根はどこにあるのか、殉教と殉国のない社会は可能かなどを縦横に論じる。第2部では、シンポジウムでのディスカッションで浮かび上がった諸問題、「命」をどうとらえるか、仏教は平和的か、犠牲と殉教の関係など、より一般的な問題について議論を深める。
目次
第1部 シンポジウム 死者をたたえるのは誰のため?(シンポジウム趣旨説明;基調講演“殉教”を問う;殉教と殉国、その問題の所在;たとえ死に引き渡そうとも、愛がなければ無に等しい;ディスカッション;しめくくりの挨拶)
第2部 座談会 殉教・殉国と信仰(「命」をどうとらえるか;仏教は平和的か;犠牲と殉教の関係をめぐって;交換と贈与をめぐって;信仰について語ること)
著者等紹介
高橋哲哉[タカハシテツヤ]
1956年福島県生まれ。哲学者、東京大学大学院教授
菱木政晴[ヒシキマサハル]
1950年金沢市生まれ。宗教学者、真宗大谷派僧侶、同朋大学特任教授
森一弘[モリカズヒロ]
1938年横浜生まれ。カトリック司教、財団法人真生会館理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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優希
37
死者を讃えるのは誰のためなのかという疑問に対してのシンポジウムの記録とそれに基づくディスカッションになっています。殉教者の列福式がをきっかけに死者を顕彰することと信仰の関係について、戦争を踏まえて語っているのが興味深かったです。カソリックと仏教の視点から殉教と殉国の同型性の根底、殉教と殉国のない国は可能かを論じることは大きな意味があると思いました。「命」をどうとらえるかは犠牲と殉教の関係を考えることでもあります。仏教は平和かなど宗教的でありながら一般的な問題は突き詰めて考える必要があるでしょう。2014/11/16
Sin'iti Yamaguti
1
伝統教学・伝統神学からフリーな宗教者だからこそ語り得た内容である。たとえば森氏は殉教を讃えるべきではなく列福式にも違和感を感じるという。菱木氏は、宗教は本来的に危ないものだという。結論は「死をほめてはいけない」「一人一人の死に方は他の人がとやかくいうべきものではない」ということ。ただ、私自身は菱木氏の立場には完全には与しない。宗教は危ないものだ、しかし「ただ念仏」だけなら差別がなくてけっこうだ、というのはあまりにも消極的ではなかろうか。ここには往生や成仏という、仏教の一大事が欠けている。2013/10/24