内容説明
御三家で中納言、文武に秀でた水戸徳川家。江戸定府で将軍継嗣や国政改革の意気は今も燃える。
目次
第1章 かくして水戸藩は始まった―東海・関東周辺を譜代大名で固めた家康は水戸藩を北方の要砦に。(水戸藩成立の直前・直後;御三家の登場;天下の副将軍二代目藩主徳川光圀;『大日本史』と光圀の功績)
第2章 藩財政破綻と騒擾事件頻発―親藩、御三家、定府制など格式の高さが藩財政を圧迫した。(家格と石高の呪縛;水戸藩新設と新旧混成の家臣団;水戸城下町と商人;庶民の暮らしと娯楽)
第3章 水戸藩歴代藩主の治績―『大日本史』の編纂を続け、尊王攘夷思想が根付く。(藩主と藩政;改革派藩主斉昭の登場;水戸学と尊皇攘夷;安政の大獄と桜田門外の変)
第4章 沸き立つ尊王攘夷と水戸藩―開国か鎖港か、激動する日本。高揚する国家意識、民族意識の中で奔走する水戸藩士。(藩内抗争の激化;筑波山挙兵;天狗党西上)
第5章 版籍奉還と水戸藩の終焉―慶喜の将軍職返上。有為な人材の枯渇。新時代から取り残された水戸藩。(若年藩主慶篤の襲封;最後の藩主昭武;版籍奉還と水戸藩の終焉)
著者等紹介
岡村青[オカムラアオ]
1949年、茨城県生まれ。ノンフィクション・ライター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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みなみ
2
幕末に至り内ゲバが壮絶すぎた。昭武が渋沢栄一を呼び戻そうとしたものの兄の慶喜が「水戸藩に渋沢をやったら暗殺されるからだめ」という理由で止めた、と慶喜関係で読んだがなるほど。あと水戸藩はあまり土地が豊かでなく、しかし石高が高めで御三家として物入りだったのだが、それ故家臣たちは困窮しており、困窮が犯罪を誘発したとある。精神論で統制してもムダだったようで、清貧というのはウソだなあ、やはり経済的に困窮すると犯罪が生まれやすくなるのだから自己責任論よりも福祉じゃないかー!と江戸時代の本を読んで思ってしまった2015/12/06
ポニョ駅長
0
名君・徳川斉昭の薫陶を受け、維新の魁となった水戸藩。 外国船の脅威から「尊王攘夷」をスローガンとした水戸学の総本山として憂国の志士達に影響を与えます。 しかし、安政の大獄等の幕府の弾圧・天狗党騒乱による内乱で人材が失われたことで薩長勢力からはるか周回遅れとなってしまいます。 「徳川」御三家であったことから幕藩体制に縛られたために中途半端な立場であったことが原因でしょうね。 一方で彼らの動きが討幕の流れを決定付けたことが皮肉と言わざるを得ません2016/02/06
rbyawa
0
f141、友人から読む前に「水戸藩は生真面目ではあるけれどその分内ゲバが行き着くところまで行き着いた感じ」という幕末評を聞いていたんですが、まあ、あれ、通史なのでそこまで幕末が具体的でもなかったんですが、確かにそんな感じ…。その源泉のようなものが御三家の一つであって、あまり豊かな土地ではなかったにも関わらず石高を多めに報告したり参勤交代が免除されて江戸詰めとなり、将軍の側にいることも多い見栄を張らざるを得ないという歴史とつながってる気もしないでもないかなぁ、ただ正直、悪気もないし教養もあるのにな…惜しい。2015/06/05
駅長ポニョ
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徳川御三家の一つであるゆえに、最後まで見栄が先行してしまった感があります。 尊王攘夷の総本山でありながら、次代の主役になれなかったのは切ないです。2018/05/26