内容説明
九代二二五年にわたり徳川幕府を一途に支えた、会津藩。その精神性ゆえ悲劇に突き進む。「ならぬことならぬ」愚直なまでに至誠を貫く。山国の厳しい風土の中で、純粋培養された、会津藩精神。不屈の魂と、人材育成の精神は脈々と息づく。よき藩風は今も続き、新たな時代を創造する。
目次
第1章 会津藩前史―葦名・伊達・蒲生・上杉・加藤、大々名は悉く失意の内に会津を去った。
第2章 保科正之とその時代―二代将軍・秀忠の隠し子は、異母兄・家光によって時を得た。
第3章 城下町の成立と生活―奥羽一の天守の下、城下町若松に独自の文化・風習があった。
第4章 田中玄宰の藩政改革―たび重なる凶作、財政危機、名家老の改革が始まった。
第5章 日新館とその教育―教育の改革、その目的とするところは人づくりにあった。
第6章 軍制改革と沿岸警備―戦いの極意は「戦わずして勝つ」ことにあり。
第7章 京都守護職から会津戊辰戦争へ―悲劇は京都守護職就任から始まった。
第8章 戦後処理と斗南藩立藩―敗れた藩士たちに、更なる苦しみが待っていた。
著者等紹介
野口信一[ノグチシンイチ]
昭和24(1949)年福島県福島市生まれ。会津若松市立会津図書館司書を経て、会津図書館館長、市史編纂兼務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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古谷任三郎
3
会津藩の通史。葦名、伊達、蒲生、上杉、加藤と会津の領主には、名だたる武将が治めたが上手くいかずに没落して行った。それを9代225年治め、雄藩へと導いたのが、保科・松平家である。特に保科正之の危機管理能力には脱帽する。その後、田中玄宰の軍制・教育改革・殖産興業によって藩をさらに飛躍させた。だが、「ならぬものはならぬ」と象徴する精神論が近代化を遅れさせ、のちの会津の悲劇、斗南藩の過酷な惨状を生んだ。明治以降も多くの人材を産んだ会津藩は、薩長土肥が最も恐れていた藩であることは間違いない。2022/03/19
Oga
1
会津の観光のために読んだ。良くも悪くも、保科正之が定めた家訓を守り通した歴史だったと感じた。正之は、藩内で殉死の禁止・社倉・年金制度の創設・末期養子の金の緩和などを行い、武断政治から文治政治への切り替えを見事に行った。日新館における「ならぬことはならぬ」の教育方針には、危うさもありつつ美しさも感じる。戦国時代から、会津は支配者が頻繁に変わる土地であった。葦名→伊達→蒲生→上杉→蒲生→加藤と。田中玄宰の改革の一つである教化改善主義が印象的だった。2024/08/18
ヨシ
0
とりわけて真新しいことが書いてあるわけではないが、近世会津の概説書としてサクッと読める1冊。孝明天皇のご宸翰を最初に(非会津で)見たのが三浦梧楼だったというエピソードは面白い。コラムで挙げられる「会津の酒」が一番参考になったかも笑2020/06/14