出版社内容情報
「私たちは生きる喜びをどこに忘れてきてしまったのだろう。
観察し、考え、自らの手でつくってみること──
そこから生まれる“控えめな創造力”こそが、今、私たちの世界に必要なのかもしれない。」
──大西麻貴(建築家)
達意のデザイナーは、達意の観察者だった。
ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリ──
デザイン黎明期の戦後イタリアで建築家やデザイナーとして生きた彼らは、自らを「プロジェッティスタ」と称した。
人びとの暮らしに寄り添い、人間的なクリエイションに心血を注いだ探究者たちの理念と行動、そしてその継承可能性に迫る。
▼ここがポイント
・現代デザイン史の中で見落とされてきた脱・消費主義的な建築家、デザイナーの仕事を再発掘。
・既製品に秘められた知恵や工夫にクリエイションの源泉を探る、観察者としてのデザイナー像とは。
・「作る人(ホモ・ファーベル)」の尊厳を守り続けたデザイナーの軌跡を訪ね、現代のクリエイションの光明を探る。
内容説明
達意のデザイナーは達意の観察者だった。職業としてのデザイナーが確立される戦後イタリアで、暮らしに寄り添い、人間的なクリエイションに心血を注いだ人々がいた。自らを「プロジェッティスタ」と称した探究者たちの思索と行動、そしてその継承可能性に迫る。
目次
第1章 物の時代の終わり―世界から手を引いた人間の肖像
第2章 創造力の現在―危機的状況と可能性
第3章 「物」という歴史を繙く―物を言語として読みとる作り手たち
第4章 やることで理解する―包括的な知性/創造力の回復を目指して
第5章 根源への下降―技術至上主義からの脱却
第6章 二〇世紀のブリコラージュ―未開社会起源の控えめな創造力
第7章 透明さへの衝動―控えめな創造力の中に蠢く合理主義の思想
第8章 「誘導の科学」というパンドラの箱―コミュニケーションの技術化の果てに
第9章 日本にもたらされたプロジェッタツィオーネ―城谷耕生の仕事
第10章 拡大された創造力論へ―自然を創造力の主体として受け入れる
著者等紹介
多木陽介[タキヨウスケ]
批評家、アーティスト。1962年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学(演劇)専攻博士課程中退。1988年に渡伊、現在ローマ在住。渡伊後は、演劇活動や写真を中心に各地で展覧会を行う。近年は自然・社会・精神のエコロジーを主題に、執筆・翻訳活動の他、展覧会の企画、刑務所内での文化活動、そして現代イタリアで「控えめな創造力」の実践者を訪ね歩く教育活動「移動教室」に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Go Extreme
-
- 和書
- Many Thanks