内容説明
『暮しの手帖』を創った男花森安治待望の選集。あたりまえの暮しを守るため、一本のペンを武器に国や大企業に挑んだ檄文。
目次
1章 うじゃじゃけるな、世間よ!(風の吹く町で1 やらずぶったくり/ブルゥフレーム/モダンお長屋 1世紀53号(1960年2月)
風の吹く町で2 ケチでない歌手/カンちがい看板/つり出し番組/汽車ポッポ 1世紀54号(1960年5月)
風の吹く町で3 現場へつれてゆく/あつい礼儀/タイトスカート/泳げない先生 1世紀55号(1960年7月) ほか)
2章 ぼくらはぼくらの旗を立てる(お茶でも入れて10 1ケタの保険証 1世紀79号(1965年5月)
お茶でも入れて11 運動会がすんだら博覧会/いいかげんにしてくれ/二百八十億円 1世紀81号(1965年9月)
どぶねずみ色の若者たち 1世紀90号(1967年7月) ほか)
3章 ぼくには一本のペンがある―剣よりも強さ示そう(君もおまえも聞いてくれ『文藝春秋』第50巻第3号(文藝春秋新社・1972年3月)
わが思索わが風土
内閣を倒した無学文盲の三人の女たち 2世紀19号(1972年8月) ほか)
著者等紹介
花森安治[ハナモリヤスジ]
1911年神戸市に生まれる。神戸三中から島根県の旧制松江高等学校を経て、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。卒業後応召し戦地へ。病を得て除隊後、大政翼賛会宣伝部に勤める。敗戦後の1948年、社長の大橋鎭子とともに『暮しの手帖』を創刊、初代編集長となる。企画、取材、執筆、写真、レイアウト、書き文字、表紙画にいたるまで徹底的に自ら手がけていた。庶民に寄り添った衣食住の提案を行う傍ら、暮しを脅かす戦争に反対し、環境問題に際しては国や大企業に対し臆することなく鋭い批判を投げかけた。1956年第4回菊池寛賞(花森安治と『暮しの手帖』編集部)、1972年自選集『一戔五厘の旗』が第23回読売文学賞(随筆・紀行賞)、同年に「日本の消費者、ことに抑圧された主婦たちの利益と権利と幸福に説得力のある支援を行った」との理由で、「アジアのノーベル賞」と呼ばれるラモン・マグサイサイ賞を受賞。1978年、1月14日永眠(享年66)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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