弱さを絆に―ハンセン病に学び、がんを生きて

弱さを絆に―ハンセン病に学び、がんを生きて

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  • サイズ B6判/ページ数 392p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784764269453
  • NDC分類 190.4
  • Cコード C0016

内容説明

自分にとって厄介なもの、見たくないもの「異質な存在」とどう向き合うべきか。「人間の生と死の意味」「性と悪の多様な在り方」「人権や平和」等の先鋭な諸問題について取組み、弱さを排除するのではなく、ともに生きることを語り続けた著者渾身のメッセージ。

目次

1 ハンセン病に学び、がんを生きて―エッセー(ハンセン病に学び、がんを生きて;病むということ、生きるということ)
2 弱さを絆に―チャペルアワー・礼拝メッセージ(「べてるの家」の不思議なメッセージ―創世記第二八章一〇‐一九節;あなたが励ましてくれるから‐響きあう生と死―詩編第八六編一一‐一三節 ほか)
3 信仰と人権―講演(ハイジ、クララは歩かなくてはいけないの?―こどもの物語と聖書に見られる“しょうがい者”差別;ハンセン病とキリスト教―信仰と人権のかかわりをめぐって)
4 女性とキリスト教―論文(「ベタニア=らい病人隔離村」説をめぐって―神殿の巻物四六・一六‐一八とマルコ福音書一四・三との関連;旧約における病人・障害者・女性と罪のメタファー ほか)

著者等紹介

荒井英子[アライエイコ]
旧姓、目時。1953年山口県生まれ。5歳の時、父と死別。一人の兄、二人の姉と共に母の郷里・青森県三本木町(現在、十和田市)の母子家庭で育てられる。高校生の時、三本木教会で受洗。1971~75年青山学院大学文学部神学科で苦学。卒業後、日本キリスト教協議会、世界ルーテル連盟マス・メディア研究所勤務を経て、1979~89年日本基督教団信濃町教会副牧師。1986年11月荒井献と結婚。1989~1992年国立療養所多磨全生園内・秋津教会牧師

荒井献[アライササグ]
1930年秋田県生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究科西洋古典学専攻博士課程満期退学。ドイツ・エルランゲン大学神学部留学。Dr.theol.(神学博士)。青山学院大学助教授、東京大学教授、恵泉女学園大学学長を経て、東京大学・恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

優希

67
荒井英子先生の遺稿集でした。勤務大学でのチャペルアワーでの話、講演、論文で構成されています。ハンセン病に対してのキリスト者として救癩に学び、女性としてキリスト教をフェミニズムの目線で見ているのがよく分かりました。論文からも先生の深い洞察により、ひとつひとつのテーマに対する考えが伝わりますが、何よりチャペルアワーでの話が胸を打ちました。学生に向けたメッセージは普遍のものであり、心に響きます。これらの素晴らしい話を聞くことができた学生は幸せだと思いました。若くして亡くなられたのが偲ばれます。2015/11/15

ネギっ子gen

57
【祈りは立ち上がらせる】2011年発行。夫である荒井献先生が編集した遺稿集。『ハンセン病とキリスト教』以降の論文9編、癌発症前後のエッセイ2編、恵泉女学園でのチャペルアワー・礼拝メッセージ7編、講演2編から成る。<私は恵泉では、キリスト教を土台として、人間の生と死、愛と性、病と癒しなど、いのちの営みをトータルに学ぶ科目を担当しています。言い換えれば、人間の尊厳に関わる問題がテーマです。ゼミでも授業でも私が大切にしているのは、当事者の声をよく聴くこと。多様性を認めること、そして自分自身を問う姿勢です>と。⇒2023/09/03

優希

37
再読です。荒井英子先生の遺構集になります。論文、恵泉女学園大学でのチャペルアワー、癌発症後のエッセイ、講演と内容は多岐に渡り、英子先生の信仰が垣間見えるようでした。特にハンセン病に対するキリスト者としての活動が印象的です。ひとつひとつのテーマに対する見方が伝わりますが、何よりチャペルアワーでの話が刺さりました。恵泉在学中何度か礼拝メッセージを聞く機会はありましたが、フェミニズムの視点の深いメッセージだった記憶があります。若くして亡くなられたのが偲ばれます。2023/11/16

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