内容説明
「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」これは本当にルターの言葉なのか?それとも「似て非なるルター」がいたのか?膨大な歴史史料・時代証言・アンケートから読み解くドイツ心性史の試み。
目次
第1章 中心的問い―ルターのりんごの苗木の言葉、その真偽への問い
第2章 出現―困難の中にある人びとへの慰めと勇気づけの言葉(終戦前から一九四六年まで)
第3章 使用範囲の一般社会への拡大―生き残った人びとと生活再建を目ざす人びとにとっての希望のしるし(一九五〇年まで)
第4章 定着した使用法―確認と同意の文(一九五〇年代)
第5章 手がかりを求めて―歴史的由来に関する仮説
第6章 新作説―似て非なるルター説、ルターと近代との関係
第7章 どういう意味で広く使われたのか―将来の言葉、楽観主義の慣用表現、生の象徴(一九六〇年代以降)
第8章 今後は使われないのか、それともまだ使われる可能性があるのか
著者等紹介
棟居洋[ムネスエヒロシ]
1938年生まれ。東京大学文学部西洋史学科、国際基督教大学大学院比較文化研究科などで学ぶ。学術博士。元フェリス女学院中学校・高等学校校長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Riko
4
「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」という、ルターの格言。それがおそらくルターの言葉では無いということ、じゃあ、誰の言葉なのか、そもそもどういう意図の言葉なのか、ということを細かく検証している本。答えはもちろん出ないのだけど、なるほどなあ、と思ったのが、私はこの言葉を「希望」の言葉だと捉えたのだけど、「不安」の言葉だという解釈もあると。あと、「世界の終わり」は敬虔なキリスト教徒にとっては「救い」だということも考えるとほんと捉え方が全然違ってくるねえ。2020/12/17