目次
高次脳機能障害者になるということはどういうことですか?
山田さんの脳はどのように壊れているのですか?
障害について、ご本人にどうやって説明すればわかりやすいのでしょうか?
障害をもって以来、脳の研究成果について興味をもたれているそうですが、日頃、どのようなことを通して勉強されていますか?医療の専門家でなくとも、障害をもったご本人や家族が脳について科学的な知識を得ることは必要ですか?
ピアカウンセリングをされるようになった経緯を教えて下さい
本人にとってリハビリは長く病院でやるよりも、早いうちに自宅に帰って、慣れた環境で生活していくほうがいいものなのでしょうか?医療制度の中でリハビリ日数が制限されていく状況のもとで効果的なリハビリをどうやって行っていくべきかと考えています
山田さんご自身は医師でもあり、リハビリにも医師として関わったご経験があります。もしご自身が高次脳機能障害のリハビリに関わるとすれば、どのような方法で取り組もうと思いますか?
ご著書の中で「毎日の生活がリハビリ」と書かれていますが、その意味について聞かせて下さい
高次脳機能障害をもった人で、感情のコントロールがむずかしくてすぐにカッとなってしまう方が多いのではないかと思います。そんな時、接し方次第でうまく対処できる方法はないかとよく思うのですが
「うつ」が高じて自殺を図る人がいるということはリハビリ関係者の間でも知られています。それを回避するために何が必要と考えますか?〔ほか〕
著者等紹介
山田規畝子[ヤマダキクコ]
1964年(昭和39年)1月5日香川県高松市に生まれる。高松高等学校を卒業後、東京女子医科大学に入学。6年生の時に最初の脳出血を起こし、持病のモヤモヤ病が判明するが、後遺症もなく1988年(昭和63年)に卒業、整形外科医師として同大付属病院に勤務。26歳で郷里の高松に戻り、香川医科大学(現・香川大学医学部)に勤務。実家の山田整形外科病院の院長になって間もない33歳の時、脳出血により脳梗塞を併発、高次脳機能障害を診断される。リハビリテーション科医師をめざして愛媛県伊予病院に勤務するが、37歳で三度目の脳出血に倒れる。半側無視など新たな後遺症が加わるが、姉が運営する老人保健施設の施設長として社会復帰する。2004年2月、発病当初からの自分の症状や生活の中のリハビリテーションなどについて書き綴った著書『壊れた脳 生存する知』が出版され、大きな反響を呼んだことを機に施設長を辞し、執筆と講演活動を通して高次脳機能障害に対する社会的認知を広げることを第二の人生のライフワークとして活動を始めて現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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