内容説明
美人画を超越した美の領域を描いた画家の静かな熱情。品格薫る名随筆『青眉抄』『青眉抄その後』全文収録、待望の復刻。
目次
青眉抄(眉の記;髷;車中有感;九龍虫;無題抄 ほか)
青眉抄その後(舞じたく;蛍;雷同性に富む現代女流作家;「汐くみ」の画について;朝顔日記の深雪と淀君 ほか)
著者等紹介
上村松園[ウエムラショウエン]
明治8年(1875)、京都市に葉茶屋を営む上村家の次女として生まれる。本名、津禰(つね)。十二歳で京都府画学校に入学、鈴木松年に師事。翌年松年の退職に伴い画学校を退学し、松年の塾生となる。その後、幸野楳嶺、竹内栖鳳に師事。明治23年(1890)、第三回内国勧業博覧会に出品した四季美人画が一等褒状を受賞し、英国コンノート公の買い上げとなるなど海外の博覧会、国内の美術展で受賞し、早くより女流日本画家として活躍。昭和23年(1948)には女性として初めて文化勲章を受章した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヒロミ
52
青空文庫で読んでいた松園の随筆だがまとめて読むとかなりボリュームがある。花鳥風月や季節の移ろいを描写した鏑木清方の随筆と比べると松園先生は最初から最後まで本当に絵の話しかしておらず「この人、本当に絵が好きで好きでたまらなかったのだな〜」と沁みた。息子たちと中国に旅行していたのは知りませんでした。「普段は夜は絵を描かないが夜絵を描いて浸り切るのがたまらなく幸せ」というのは、松園先生に爪の先ほども及ばないアマチュアの私も共感しました。生意気にすみません。かなり気の強く意志が強い女性だったのだなあと思いました。2016/12/20
井月 奎(いづき けい)
43
上村松園の絵の色彩は薄いと思いきやこってりとして、沢の水のように透明に見える画面は一条とて光を通しはしません。矛盾しているようですが松園の絵の中ではそれは自然なことなのです。なぜそのような不思議なことができるのか、この随筆を読めばその一端が分かります。絵のことしか考えずに、絵を描くことにしか生きていないからこそできる技なのです。優れた才能の持ち主がだれよりも努力すればこそ雪の中に立つ松のように力強く、秋の風に揺れる萩のようなたおやかな絵が描けるのでしょう。名文で綴られる随筆はそれもまた妙なる芸術品です。2017/01/24
双海(ふたみ)
15
「私の美人画は、単にきれいな女の人を写実的に描くのではなく、写実は写実で重んじながらも、女性の美に対する理想やあこがれを描きたい」・「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである。それで私は母のそばにさえおれば、ほかに何が無くとも幸福であった。」2017/06/09
たけはる
9
さらさらと流れ、凛として芯のある言葉遣いに浸りつつ読了。宮尾登美子『序の舞』と対比させつつ、氏がどのように絵と向き合ってきたかの片鱗を覗かせてもらいました。また、過去のうつくしい京都の情景もよい。京都行きたいなあ……。2020/12/16
みーちゃん
2
京都の「松園展」に行ってから、彼女の絵に対する姿勢とかを知りたくて、読みました。 美人がの絵も美しいけれど、京ことばも綺麗です。 2010/12/18