- ホーム
- > 和書
- > 芸術
- > 絵画・作品集
- > 絵画・作品集(西洋)
内容説明
甘美な世捨て、この世にあらざる写実、謎深き画家の全貌。思考の軌跡が綴られた遺稿『ノート』全文掲載。
目次
1 月/太陽
2 一九四五‐一九七五
3 蝋燭
4 ノート
5 一九一四‐一九四三
6 解説・年譜
著者等紹介
高島野十郎[タカシマヤジュウロウ]
1890年、福岡県久留米市の酒造業を営む素封家の家に生まれる。東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業。将来を嘱望されながら画家の道を選ぶ。「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」と世の中の趨勢に見向きもせず、主に個展を作品発表の場とし一貫して写実を追究する。70歳を超えてからは千葉県柏市の田園に自ら設計した質素なアトリエを建て「晴耕雨描」ともいえる生活をおくる。電気も水道もガスもない環境を「ここは、おれのパラダイス」と、その暮らしを慈しんだ。生涯独身。1975年、千葉県野田市の老人ホームで死去。享年85歳。地元でもほとんど忘れ去られていた存在であったが、没後30年余、高島野十郎の生き様・画業に大きな注目が集まり、再見の動きが著しい(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
禿童子
37
カロンさんのレビューに触発されて。写実に魂をささげた明治23年生まれの久留米出身の画家。久留米の画家といえば青木繁。高島の長兄は青木繁の親友で詩人として知られ、仏門に帰依。長兄の影響を強く受けている、つまり仏教の世界観が絵の中に表現されているとも見える。蝋燭、月、太陽の連作、「雨の法隆寺」、長瀞の岩塊と川の流れを描いた「流」に強く惹かれる。なぜか川面が茶褐色に見える。青空の下に菜の花と紋白蝶を配した絵をよく見ると近景から遠景まで一つ一つの花が省略せずに描写されている。絵の師匠を持たず東大農学部を首席卒業。2020/12/19
Maiラピ
18
久留米と言って思い浮かぶ画家は青木繁、坂本繁二郎、古賀春江だけ。高島 野十郎の存在を初めて知る。西本匡伸、川崎浹の両氏が語る孤高の画家野十郎を知れば知るほど、作品を見ると心が揺さぶられて涙が。 彼の頑ななまでの潔癖さやブレナイ彼らしいエピソードがかっこよくもあり、なんか悲しくもあった。“闇を描くために月を描いた。月は闇を覗くために開けた穴です。”2011/08/19
かち
7
野十郎さんの、出生地と亡くなった土地両方にご縁があって、随分あちこち通いました。“積る”“太陽”“菜の花”が好き……2020/05/02
Maco(まこ)
6
孤高の画家 高島野十郎。画は、口ほどにものを言う。野十郎の絵に言葉は、要らない。2012/09/02
Hiroki Nishizumi
4
素晴らしい画集だと思うのだが、絵を観れば観るほど、彼の人となりが良く分からない。自分は絵のことに疎いので、普通の立派な絵にしか見えない。彼の生涯が読み取れない。もっと勉強しよう。2013/09/28