出版社内容情報
<汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる>(「汚れつちまつた悲しみに」)。昭和初期、無頼な心をひっさげて生き急ぐように夭折した詩人・中原中也。アナーキーな生き方そのものが「歌」になり、ついにその「歌」に殉じた天性の詩人の、その後永く人々の心に刻まれ愛唱される多くの名詩と、短歌や翻訳詩やアフォリズムなど中也の全貌を提示する。孤独で苛烈な生と死、ユーモラスでありながら悲しい詩の調べが、時代を超えて底知れぬ感動を与え続ける。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
テツ
7
ストレートな哀切がとても中原中也っぽい。中也の使う言葉の美しさは好きだ。悲しみや喪失感。自らの中に渦巻くネガティブな感情を受け止めて、そのモヤモヤに言葉としての新しい生命を与え外の世界に生み出すって凄まじいエネルギーを使用するよな。生み出された詩が他人の心に入り込み魂に絡みつきその人間の血肉となる理由も解る気がする。だってこれ食事と同じだもん。肉ではなく人の感じたモヤモヤを美しく調理された上で喰っている。自分以外の他人と脳と心の中身が共鳴できたかのような感覚。とても心地良い。2015/06/08
雛子
4
とある作品のキャラクターが好きだという中原中也の詩が読んでみたくて。詩にありがちなわけわからない感が少なくて、すんなり読みやすい。ただ黙って読むより声に出して音にして読むと、もっと魅力が増す気がする。思わず口ずさみたくなる詩がいくつか。『港市の秋』の最後部分《私はその日人生に、椅子を失くした。》が強烈に印象に残った。2011/12/13
shou
3
『山羊の歌』『在りし日の歌』+未刊詩篇と訳詩。「朝の歌」「湖上」の雰囲気が素敵だ。ヴァルモール「誠意の女」訳が印象に残った。「だつて、あたしの愛のためには/人生はあんまり過ぎ去り易く、/だつてあたしの愛のためには/人生はあんまり日が暮れ易い。」2014/06/22
anemone
2
祖母が以前、幼馴染みとの日々を短歌にしていたが、喪失の痛みを鈍化させるのは、結局のところ時の経過しかないとは知りながらも、哀切や寂寥を言葉で飾り立て、美に転化させる行為は、生々しい傷口に薄皮一枚ほどの(時にそれ以上の)効果をもたらすのかもしれない。懐古を懺悔を幸を不幸を透過して、彼が写し取ってみせる、彼方のような此方の風景。月夜の湖上に漂うように、ぼんやりと文字を追いながら、改めて日本語の音の美しさに気付かされる。 2010/10/02
t
1
「教科書に載ってた人」で止まっている世界を動かそうと、詩集を1冊、読み通してみた。 最初から最後まで感じたのは、とにかく悲しみが深いということ。 あらゆる光景を「悲しみ」のフィルターを通して見ているような印象を受けた。本人は、きっと無自覚であるから、苦しいだろうなとも思うけれど、だからこそ気づけた、感じ取れたことも多いのだろうな。 すてきな描写も多かった。《やがても蜜柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり》2021/09/18