出版社内容情報
底本を版本に定め、作品中の難解かつ不可解な表記に、回答を与えてみようとする初めての試み。伊賀市所蔵沖森本を影印と翻刻で紹介。『笈の小文』は、研究史が実証するように、不幸な運命をたどった。芭蕉が推敲途上に放棄した未定稿かと久しく言われ、一方で、出版に関わった乙州の編集物ではないかとの指摘もなされ、二説並存を視野に入れつつ、半世紀近くを空費して、研究は、いまだ出発点に佇んでいる。このたびの本書では、右の議論の出発点に立って、まず、底本を版本に定め、作品中に点在する難解かつ不可解な表記や文章に、ひとまず回答を与えてみようとする初めての試みである。「評釈篇」は、影印・翻刻・校訂本文・概要・語釈・通釈・補説の構成をとり、これからの作品論へ向けた問題提起を含む。「資料篇」は、『笈の小文』の理解を助けるための旅の行程や、発句の入集俳書を一覧し、あわせて現存諸本の位置づけと本文の対校表を用意した。なぜ、本書が底本に版本を選んだかの理由は、ここで明らかになるであろう。なお、このたびの刊行にあたり、伊賀市所蔵のいわゆる沖森本の全文を初めて影印と翻刻で紹介する。
はじめに 大安 隆
『笈の小文』学説批判―研究史として―小林 孔
評釈篇
凡 例
〔風羅坊記〕
〔送別・旅立〕
〔紀行始筆〕
〔鳴海夜泊〕
〔保美道中〕
〔伊良古訪問〕
〔尾張遊吟〕
〔旧里越年〕
〔伊賀春日〕
〔伊勢参宮〕
〔同行門出〕
〔大和路行脚〕
〔吉野山感懐〕
〔巡礼廻国〕
〔旅十徳〕
〔初夏南都〕
〔須磨早暁〕
〔須磨眺望〕
〔須磨浦幻影〕
『笈の小文』序
資料篇
旅程と旅中句(その異同)一覧 付行程図・須磨明石地図
『笈の小文』の諸本
付載資料1 『更科紀行』影印・対校
付載資料2 附録部の対校
『笈の小文』(伊賀市蔵)影印と翻刻
『笈の小文』四本対校表
参考文献
あとがき
索引(芭蕉句、書簡、書名・人名・地名)
大安隆・小林孔・松本節子・馬岡裕子[ダイヤスタカシ コバヤシトオル マツモトセツコ ウマオカヒロコ]
著・文・その他
内容説明
『笈の小文』は不幸な運命をたどり、研究はいまだ出発点に佇んでいる。このたびの本書では、底本を版本に定め、作品中に点在する難解かつ不可解な表記や文章に、回答を与えてみようとする初めての試みである。「評釈篇」は、影印・翻刻・校訂本文・概要・語釈・通釈・補説の構成をとり、これからの作品論へ向けた問題提起を行なう。「資料篇」では、伊賀市所蔵のいわゆる沖森本の全文を初めて影印と翻刻にて紹介、さらに四本対校により現存諸本の位置づけを明らかにする。
目次
評釈篇(風羅坊記;送別・旅立;紀行始筆;鳴海夜泊;保美道中 ほか)
資料篇(旅程と旅中句(その異同)一覧 付行程図・須磨明石地図
『笈の小文』の諸本
『笈の小文』(伊賀市蔵)影印と翻刻
『笈の小文』四本対校表)
著者等紹介
大安隆[ダイヤスタカシ]
昭和3(1928)年生まれ。関西大学文学部卒業。元大阪市立夕陽丘中学校長
小林孔[コバヤシトオル]
昭和38(1963)年生まれ。立命館大学大学院博士課程単位取得満期退学。大阪城南女子短期大学教授
松本節子[マツモトセツコ]
昭和16(1941)年生まれ。龍谷大学大学院博士課程単位取得満期退学。元摂南大学教授
馬岡裕子[ウマオカヒロコ]
昭和30(1955)年生まれ。同志社女子大学家政学部卒業。佛教大学文学部史学科博物館学芸員課程修了。元芭蕉翁記念館学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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