目次
図版(若冲画譜;玄圃瑤華;素絢帖)
解説(若冲の芸術と近代)
著者等紹介
伊藤若冲[イトウジャクチュウ]
1716(正徳6)~1800(寛政12)。1716(正徳6)年京都・錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれた。23歳で家業の青物問屋主人を継ぎ、そのかたわら20代後半から狩野派の絵師に学んだ。その後、狩野派を超える表現を目指し、京都の寺院などに所蔵される中国画の模写を千本にわたり営々と続けるが、同時に身の回りの野菜や草花、鳥虫類などを写生する。特に自宅の庭で飼い、観察を重ねて描いた鶏の作品は代表作が多い。1755(宝暦5)年、若冲は40歳で次第に家督を譲って隠居生活に入り、画業に専念する。1758(宝暦8)年頃、代表作「動植綵絵」(御物)の制作を始める。1759(宝暦9)年京都鹿苑寺大書院水墨障壁画、1764(明和元)年、金刀比羅宮奥書院上段の間に「花卉図」、二の間に「山水図」、三の間に「蕪子花図」、広間に「垂柳図」を描く。1768(明和5)年の『平安人物志』絵師の項に応挙に継ぐ三番目に名前が載る。1776(安永5)年、石峰寺「五百羅漢石像」制作に着手する。1790(寛政2)年、大阪府西福寺に金地濃彩襖絵「群鶏図」を描く。1791(寛政3)年頃、京都深草の石峰寺に隠棲していたといわれ、観音堂に花卉167面の天井画を遺した。1800(寛政12)年9月8日京都深草で没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Noelle
3
ボタニカルアートを習っていた10年くらい前に、先生から勧められて見たのが若冲の植物画との出会い。若冲展の度に見にゆくけれど、本当に短い時間では充分に見きれないくらい詳細に丁寧に描いてあるのに はんなりとやさしい花たち。そこが西洋のボタニカルアートとは一味違う若冲ならではの味わいだと思う。本書の信行寺格天井「花卉百図」も素敵だけど、拓版摺の「玄圃瑤花」「素絢帖」のモノトーンの力強さ、グイグイ見る目を惹きつける。都美術館の若冲展で「玄圃瑤花」の一部が展示されていたがやっぱり好き。買いました、Pカード2016/05/16