内容説明
トランスジェンダーの身体への問いから「心身二元論」神話の解体へ。身体をめぐる理論的図式(病理学的図式/デカルト的図式/構築主義的図式)を批判し、誰しもが生きているこの「私の身体」を掘り起こす―。
目次
序章 マトリックスの夢、あるいは真理の場所
第1章 感じられた身体―トランスジェンダーと『知覚の現象学』
第2章 身体を書き直す―トランスジェンダー理論としての『ジェンダー・トラブル』
第3章 たったひとつの、私のものではない、私の身体
第4章 パスの現象学―トランスジェンダーとサルトルの眼差し
第5章 ポストフェミニズムとしてのトランス?―千田有紀「「女」の境界線を引きなおす」を読み解く
第6章 語りを掘り起こす―トランスの物質性とその抹消に抗する語り
第7章 トランス・アイデンティティーズ、あるいは「名のなかにあるもの」について
終章 「私は自分の身体を愛することができるか」
著者等紹介
藤高和輝[フジタカカズキ]
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。京都産業大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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msykst
16
藤高和輝『ノット・ライク・ディス トランスジェンダーと身体の哲学』を再読。やっぱりこれは必読だと思った。一貫するのは身体の「どうしようもなさ」である。この「どうしようもなさ」を捉え損なうと、身体の自己決定権のような主意主義的な発想も、あるいは言説構築的な発想も、排斥的な言説に転化してしまう。たとえバイアスは社会的に構築されたものだとしても、私たちはそれからまったく自由に生きることはできない(P209)。だから、自分の身体への愛を巡る問いは政治的なのである。 2025/02/02
ちり
2
“端的に言えば、「私の身体」とは「間身体的なもの」である。ところでメルロ=ポンティはここでは明確に述べてはいないが、「私の身体」が他者が「付きまとう」ものとして存在するなら、その他者に「私の身体」が受け止められるか拒絶されるかは「私の身体」そのもの、その身体感覚を安定させたり揺り動かしたりするものでありうる。そして、そのような他者との絡み合いや付きまといにおいて、その他者の「受け止め」は社会的規範に構造化されてもいる。したがって、私たちはその他者の背景にある「世界」自体との連絡を問わざるをえない”2024/09/06
takao
1
ふむ2024/12/09
バニル
0
最高でした。身体イメージの話が自分にとって他の何よりもしっくり来ました。2025/02/04
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