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出版社内容情報
柳田国男の文献を繙くと、昔から日本列島は数々の災害に見舞われ、妖怪たちはその前触れや警鐘として存在し、常に私たちの傍らにいた。日本各地に残る祭りや風習などを取材し、細々と残る「災害伝承」、民俗的叡智を明らかにする。
内容説明
柳田国男の『遠野物語』『妖怪談義』『山の人生』を繙くと、日本列島は、大地震だけでなく、飢饉、鉄砲水、干ばつなど、繰り返し災害に見舞われている。そこかしこで起こる災害の記憶は、河童、座敷童、天狗、海坊主、大鯰、ダイダラ坊…おどろおどろしい妖怪に仮託され、人々の間に受け継がれてきたのだ。遠野、志木、柳田の生まれ故郷の辻川(兵庫)、東京の代田などをたどり直し、各地に残る妖怪の足音を取材しながら、ほそぼそと残る「災害伝承」を明らかにする。
目次
1章 河童は死と深く結びつくものであるという事
2章 天狗が悪魔を祓うといまも信じられている事
3章 洪水は恐るべきものでありすべての始まりでもある事
4章 鯰や狼が江戸の世にもてはやされたという事
5章 一つ目の巨人が跋扈し鹿や馬が生贄にされた事
著者等紹介
畑中章宏[ハタナカアキヒロ]
1962年大阪生まれ。著述家・編集者。多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員、日本大学芸術学部写真学科講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
32
柳田国男の著作の中から妖怪と災害に関する箇所を調べた労作。河童と飢饉であるとか、天狗と火災、地震と鯰などがここでは取り上げられている。近年の事例としては東日本大震災までが取り上げられており、そういう意味では地震に関連する部分が一番身に迫っているような気がした。また妖怪という主題のせいかここで取り上げられているのは、柳田国男の初期の著作が多く『遠野物語』や『山の人生』の魅力を改めて知ることが出来る。このような本を読んでいると、日本人が昔から災害に襲われていた事や、如何に向き合ったかが何となく思われてくる。2012/07/31
Kazehikanai
17
河童、天狗、一つ目小僧、地震鯰。日本に各地に残る妖怪奇譚。それは平和を願い天変地異と向き合ってきた日本人のこころと密接に結びついていた。柳田国男が歩き、集めた痕跡を著者が辿っていく。東日本大震災をときどき想起させるが、基本的には民俗学を身近にしてくれる興味深い一冊。その時々の願いを込める人々がいたり、戸惑う人々がいたり。神様となった妖怪がいたり、身近で滑稽な存在に堕ちた妖怪がいたり。人生いろいろ、妖怪もいろいろ。2016/07/03
ハチアカデミー
16
河童や天狗ダイダラボッチ表象は何を伝えるのか。洪水神話は、地震と鰻の関係、狼と病の関係は何なのか。柳田國男の残した民話・伝説を基に妖怪譚などの物語を生み出す人間の心性に迫らんとした「妖怪のフォークロア」。科学や理屈では解決しない問題があって、それを解決に向けるのではなく一旦呑みこむために物語が語られる。それはいつの時代でも変わることはないのだということを、東日本大震災以後の幽霊譚はあらわしている。鯰絵、山神の従者としての狼=山犬信仰を論じた4章が特に興味深かった。出身地である茨城の話も多くなんだか嬉しい。2015/05/06
kuukazoo
10
度重なる災害によって昔も今も多くの命が失われてきたと思うと胸が塞がれる。化物や妖怪の怪異譚、天狗や蛇や狼信仰の背後には、災害の恐ろしさや死者への思いや鎮護を祈る心や諸々言葉にしがたい何かが潜んでいる。昔から伝わる神事を迷信と思いつつ今も続けているのはやめたら何が起こるかわからないからという畏れゆえというがそれを笑うことはできない。長い時間を経て仕込まれたプログラムを知ることは可能なのか。災害の記憶はどのような形で残され、受け継がれるのか。柳田国男の仕事についてもっと知りたいと思った。2021/01/31
遊未
6
初めて「遠野物語」に触れました。もちろん、民俗学ではありますが、災害となると語り伝えることの重要性を感じます。遠い昔の話、妖怪たちは未来のためにも存在している、存在し続けてほしい。未来で子孫が思いがけない災害に準備できるように、対処できるように。2018/11/12